ごく一部でブームになるが、社会全体ではタブー視されることに、人間は平等では「全くない」ということがある。
それは、「どんな家に生まれたか」といった問題ではない。
「恵まれた環境に生まれたら得だ」ということなら誰でも知っている。
そうではなく、生まれつきの能力の問題だ。
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というのは大嘘であり、実際は、「天は人の上に人を作り、人の下に人を作る」である。
しかし、最初に述べた通り、このことは病的なまでにタブー視される。

人には生まれつきの能力の差があるということは、私が長年調査したり、直接見聞きしたことの中で、例外はただの一件もなかった。
私の場合は、小学5年生の時、愚かな担任教師の愚かな行いのために、私は、クラスメイト全員のIQ(知能指数)テストの成績を見たが、それが勉強の成績とピッタリ一致していたことに衝撃を受けた。
IQは基本的に先天的に決まっているが、子供の頃は速く成長させれば、一時的に高いIQを持つことがある。しかし、大人になれば、先天的に持っているIQの数値になる。
英才教育というものは、子供の頭脳を速く成長させ、小学生のうちは高いIQになり、勉強も出来るので、優秀な人間になったと誤解されるが、中学あたりには成長が止まるのに、他の子供は成長を続けるので、自分がどんどん無能になっていくことを感じる。そんな人を何人も見たが、彼らは中学以降は惨めだ。小学校の時から中学入学頃までに味わった優越感を忘れられないのに、現実には自分は凡人で、努力をしなければ下位になってしまう。本当に優秀な人は、努力しなくても、勉強も仕事もかなり出来る。

ところで、気付かれ難いこととして、「優秀な者同士の争い」がある。
たとえば、IQが高い人間しか入れない東大にだって歴然としたカーストがあり、能力が低い者は高い者にどうやっても勝てない。
そして、能力が高い者同士の争いはし烈だ。それは競馬の競走馬のようだ。
つまり、世間では超優秀と言われる者も競馬の競走馬のようなもので、競馬の主催者になれるのは、さらにランクが高い優秀な者というわけだ。

タイムリープして子供の時に戻っても、いい思いが出来るのはやはり、せいぜい、中学生の最初のあたりまでだ。
特に若いうちは、大人の経験よりも、記憶力や計算力といった純粋な知的能力がモノを言うからだ。

では、生まれつきの能力が低い者には、何の夢もないのかというと、一般的にはその通りだ。
しかし、悟りを開けば・・・つまり、起きていても、思考が消えている(思考が自動的に起こらない)状態になれば、世間で言う優秀を超越した優秀さを得る。
勉強が出来るようになるというのではなく、勉強する必要がなくなる。まあ、本当に必要な勉強なら出来るようになると思う。
「優秀な人間には、優秀な専門家と優秀な専門家を使う人間という2種類がある」と言うことがあるが、悟りを開いた人間は、優秀な専門家を使う人間を使うことが出来る。
おそらく、悟りを開くと、一般的な意味でも、ある程度は優秀になると思う。
つまり、悟りに近付くほどIQも上がっていくと思われる。
それで、瞑想のようなことをすべきなのだが、瞑想の本とか瞑想セミナーといったものは全部有害だと思う。
瞑想なんて、1ページで説明出来ないはずがないし、早い話が、自分の呼吸を意識するだけで良い。細かいことは自分で工夫すれば良い。最初は下手でも、だんだん良くなっていくだろう。
瞑想について説明すればするほど、される側にとっては有害だ。
TM(超越瞑想)なんて、有効ではあるが、それをビジネスにしたことで有害さを一杯持ってしまったのだと思う。
本来は、タダで教えるべき簡単なものだ。
まあ、他にやり方はいくらでもあるので、個人的には関わらないことをお薦めする。

そういうわけで、やるべきことは悟りを開くことだけであることが分かると思う。
後は自然についてくるだろう。
ただ、一般人に悟りを開かせない働きかけは半端ない。
つまり・・・悟りを開くことが絶対に必要だということだ。

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