人生がうまくいっていないと思えても、案外にそうではないかもしれない。
それはアンデルセンの『もみの木』のように、後から考えれば、今は結構幸せなのかもしれない。
だが、かなり頑張っているのに、ものごとが動かないとか、世の中が本格的に悪くなってきたと強く感じたら、世界を変えるか、違うパラレルワールドに移動したくなることもある。
正直、この世界は悪くなってきたが、不満を言ったり、叩き壊そうと思うほど、ますます悪くなっていくことが多い。
そんなやり方では、魂の全知全能の力を発揮したり、もっと良いパラレルワールドに移動することは難しい。
世界をどう変えるか、どんなパラレルワールドに移動するかを考えることは心(思考、自我)の領分ではない。
それは、自我よりずっと賢い魂(真我)にまかせるべきである。
魂にお願いする方法は、一応、2通りと言える。
一応と言ったのは、実際は単に思考を消せば良いのだから、本当はやり方は1つなのだが、2つと言った方が仕組みが分かり易い。
1つの方法は現状肯定することで、もう1つは、現状を肯定するほどではないが楽天的になることだ。
具体的には、現状を肯定するには、そのための言葉を唱えることで、よく知られているところでは、「大丈夫」「完璧だ」「これでいいのだ」といった感じだが、現状肯定なら何でもいい。ちなみに、明るく、気楽に、のんびり唱えることだ。「いい加減に」と言っても良いくらいだ。「いい加減」とは「ちょうど良い加減」なのだから。
もう1つの方法である楽天的であるためには、何と言っても「何とかなる」が一番だ。これも、力を抜いて気楽に唱えることだ。「ま、何とかなるでしょう」って感じだ。
ザ・モップスの『すずきひろみつの気楽に行こう』(1973)という歌の中にある「なんとかなるぜ 世の中は」という感じも良いと思う。
心が凹(へこ)んでいる時には、「完璧だ」「大丈夫だ」はキツイし、「これでいいのだ」も抵抗があると思う。
それどころか、「何とかなる」とも思い難い。
それなら、今この瞬間に集中する今今メソッドや、ただ呼吸を意識したり、あるいは、ネドじゅんさんのエレベーター呼吸をやった方が良いかもしれない(呼吸法も実は今今メソッドであると思うが)。
まあ、結局はそこに(今今メソッドに)たどり着くようになっているのだと思う。
だが、自我が活発な若い間は、「何とかなる」と思いながら、自我と妥協しなければならないかもしれない。それはそれで面白いと思う。
この世界では、しばらく苦しい状況が続くと思うが、それは良い機会(チャンス)である。
ニーチェやイェイツは、現状肯定派で、「完璧だ」「これでいいのだ」というのを、「自分の意思でこうなった」と、自分を神と一致させようとした。なかなか厳しい方法だが、好きな人もいるかもしれない。
派生としては、「悪いことは良いこと」とか、具体的に足が痛いなら「足が痛いのは良いこと」と思ったり言ったりするものもある。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)アンデルセン童話集(上)(山室静翻訳)
(2)ツァラトゥストラ 上(光文社古典新訳文庫 第 1 巻 全 2 冊)
(3)量子力学の多世界解釈 ~なぜあなたは無数に存在するのか~
(4)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(5)左脳さん、右脳さん(ネドじゅん)
AIアート937
「エンジェル」
Kay
それはアンデルセンの『もみの木』のように、後から考えれば、今は結構幸せなのかもしれない。
だが、かなり頑張っているのに、ものごとが動かないとか、世の中が本格的に悪くなってきたと強く感じたら、世界を変えるか、違うパラレルワールドに移動したくなることもある。
正直、この世界は悪くなってきたが、不満を言ったり、叩き壊そうと思うほど、ますます悪くなっていくことが多い。
そんなやり方では、魂の全知全能の力を発揮したり、もっと良いパラレルワールドに移動することは難しい。
世界をどう変えるか、どんなパラレルワールドに移動するかを考えることは心(思考、自我)の領分ではない。
それは、自我よりずっと賢い魂(真我)にまかせるべきである。
魂にお願いする方法は、一応、2通りと言える。
一応と言ったのは、実際は単に思考を消せば良いのだから、本当はやり方は1つなのだが、2つと言った方が仕組みが分かり易い。
1つの方法は現状肯定することで、もう1つは、現状を肯定するほどではないが楽天的になることだ。
具体的には、現状を肯定するには、そのための言葉を唱えることで、よく知られているところでは、「大丈夫」「完璧だ」「これでいいのだ」といった感じだが、現状肯定なら何でもいい。ちなみに、明るく、気楽に、のんびり唱えることだ。「いい加減に」と言っても良いくらいだ。「いい加減」とは「ちょうど良い加減」なのだから。
もう1つの方法である楽天的であるためには、何と言っても「何とかなる」が一番だ。これも、力を抜いて気楽に唱えることだ。「ま、何とかなるでしょう」って感じだ。
ザ・モップスの『すずきひろみつの気楽に行こう』(1973)という歌の中にある「なんとかなるぜ 世の中は」という感じも良いと思う。
心が凹(へこ)んでいる時には、「完璧だ」「大丈夫だ」はキツイし、「これでいいのだ」も抵抗があると思う。
それどころか、「何とかなる」とも思い難い。
それなら、今この瞬間に集中する今今メソッドや、ただ呼吸を意識したり、あるいは、ネドじゅんさんのエレベーター呼吸をやった方が良いかもしれない(呼吸法も実は今今メソッドであると思うが)。
まあ、結局はそこに(今今メソッドに)たどり着くようになっているのだと思う。
だが、自我が活発な若い間は、「何とかなる」と思いながら、自我と妥協しなければならないかもしれない。それはそれで面白いと思う。
この世界では、しばらく苦しい状況が続くと思うが、それは良い機会(チャンス)である。
ニーチェやイェイツは、現状肯定派で、「完璧だ」「これでいいのだ」というのを、「自分の意思でこうなった」と、自分を神と一致させようとした。なかなか厳しい方法だが、好きな人もいるかもしれない。
派生としては、「悪いことは良いこと」とか、具体的に足が痛いなら「足が痛いのは良いこと」と思ったり言ったりするものもある。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)アンデルセン童話集(上)(山室静翻訳)
(2)ツァラトゥストラ 上(光文社古典新訳文庫 第 1 巻 全 2 冊)
(3)量子力学の多世界解釈 ~なぜあなたは無数に存在するのか~
(4)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(5)左脳さん、右脳さん(ネドじゅん)
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