我々が使う精神に関する言葉は曖昧過ぎる。
「精神を高める」「魂を磨く」という言葉は、「悟り」に近付くことであると言えると思う。
では、「悟り」とは何かというと、大雑把には、
(1)思考が消えている。思考は必要な時にだけツールとして使う。
(2)自我が不活性化している。結果、優越感が存在しない。
といった状態と思う。
そして、悟りに近付けば、自分の世界が平和になる。
表面的に見れば、引き寄せ能力が高まる。
宗教では、悟りは非常に難しく、数百年に1人悟るかどうかと思われているかもしれないが、確かに、完全に悟ることはそうなのかもしれない。完全に悟るとは、上の(1)(2)が完全になった状態である。
しかし、たとえばだが、20%悟れば、見かけは普通の人だが、実際は、超人とか魔法使いとでも言うしかない存在であると思う。それは誰でも可能で、特に修行の必要もないという者もいる(「修行」の定義の問題もあるが)。

普通の人は、悟りの意味が分からず、そこに向かうことすら出来ないが、それに付き合うのはもうやめよう。でないと、そろそろ世界が危ない。
悟るには、単に、悟れる方法を取れば良いだけである。
家や寺でじっと瞑想して悟ることも不可能ではないが、世の中で活動して実験を行いながらの方が、はるかに効率が高い。
ところがだ。
ラマナ・マハルシは16歳で悟りを開いたが、これを前世で魂を磨いていたと言う人もいるし、そうなのかもしれないが(確認のし様がない)、それよりも、反則的な精神のスイッチを押すことに成功したようなものだと思う。それをマハルシはほとんど偶然にやったのだと思う。
そのスイッチは、情緒という感情・・・と言うよりは感覚の中にあり、何かを「良いなあ」「美しいなあ」と感じたことをきっかけにスイッチを押してしまう。
ほとんど「ズルをした」と言って良いものである。
これは芸術家に時々見られ、岡本太郎はセザンヌの絵を見た時に、そのスイッチを押してしまったと思われるのである。
ちなみに、ラマナ・マハルシの場合は、アルナチャラという山の写真を見たことがきっかけになった。その画像の陰影や色彩の微妙さが、マハルシの精神回路に影響を与え、スイッチが浮上してきたのだと思われる。
だから、我々も、芸術作品や、あるいは、岡本太郎が言うように、縄文土器みたいなものを、もっとよく見た方が良い。
芸術作品は、そのためにあるとも言える。

そして、最近よくここで書いているように、呼吸を意識する瞑想をするなど、悟りに近付くことを行うことが好ましい。
悟りに近付くための特に有効な行為を1つあげれば、以前にも書いたが、アルカイック・スマイルをすることである。
呼吸を意識する瞑想よりはるかに短時間で効果がある。
アルカイック・スマイルとスマイルは全然違う。
アルカイック・スマイルは、口元で微かに微笑むだけで、他は変化させない。敢えて言えば、目は薄目が最も効果的で、京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像が、まさにその通りである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)引き寄せの法則 エイブラハムとの対話(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス)
(2)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(3)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(4)今日の芸術(岡本太郎)
(5)セザンヌ画集 (世界の名画シリーズ)
(6)ギュスターヴ・モロー画集 (世界の名画シリーズ)
(7)ドレ画集
(8)円空と木喰 微笑みの仏たち

蒼い瞳
AIアート919
「蒼い瞳」
Kay

  
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