聖者達はあまり言わないが、悟りに近付くほど、望まずとも幸運に恵まれ、物質的にも繁栄し幸福になる。
物質的な繁栄と言っても、運命でなければ大金持ちになることはないが、普通はかなり恵まれるし、たとえそれほどではなくても不満を感じることはない。
だが、悟りについては誤解が多い。
悟りとは思考を消すことだが、それで納得し難ければ、余計な思考をしなくなることと思うと良い。
私には本物かどうかは分からないが、書籍やネットでよく知られているネトじゅんさんという人が言う「頭の中の思考が消えてしまった」というのが、さとりを分かり易く示していると思う。
他にも、「世界が自分の中にあることを実感した」とか「全てが透明になった」と言う人もいて、感じ方は異なるものだ。
だが、いずれの場合も、ごく普通の人間のまま生きられるし、ある意味、本当の意味で普通・・・当たり前になるのだ。
また、頭の中から思考が消えたと言っても、思考が出来ないわけではなく、必要な思考は行うが、思考に支配されてしまうことはなく、本当に「必要な思考だけする」というものである。
その思考も、自動的に起こっていることが分かり、質問や問題に対する答がぱっと分かるし、今後のスポーツの試合結果程度なら分かってしまうこともあるが、それで利益を得ようという発想は湧かないし、興味本位や邪な目的で試合結果を尋ねられても、答が浮かばなかったり、答が分かっても言わない。
だが、悟りを得ても、やはり全く普通の人なのである。
単に楽しいから、人に優しいし親切にするし、優しくされたり親切にされると喜びを感じる。
目的があって人に親切にするわけではないので、物質主義的な世の中では誤解されることもある。
「目的もないのに、なぜそんな親切をするのだ?おかしいじゃないか。何か狙いがあるのだろう?」
とか言われ、そう言われたら、悟りを得た人だって、ちょっとは嫌な気分になるかもしれない。
サービス業の会社の会員になると、誕生日ごとにお祝いメールとかお祝いの郵便が来たりするが、それは、本当に誕生日を祝福しているのではなく、「お誕生日は10パーセントオフ」とか言って何か買わせる目的だったり、広告を送り付ける手段にしているだけで、悟りを得た人がやるのとは全く正反対の行為であるが、そんな会社はもう潰れていくだろう。
本当に親切で優しいことを行う会社のみが繁栄することになる。
善意が湧かないのに繁栄すると、必ず不幸が起こる。なぜかと言われても、そういうものなのだ。
こういったところは、人も会社も同じだ。
思考を消す、悟りを得る方法は無限にあり、自分の好きなもの、やり易いものをやればいい。
別に、特別な方法があるわけではない。
マントラを唱え続ければ思考が消え悟りが得られると教える団体があるが、マントラは各自に最適なものがあり、それを教えてやるから何十万円もよこせ・・・なんてのは、私はどうかと思う。神とか宇宙の意志みたいなものがあれば、そんな偏ったことをするとは思えない。
腕振り運動や佐川幸義流四股を延々やるというのは、とても良いと思う。
別にダイエット目的でも構わないが、出来るだけ数多くやっていると、無目的で淡々とやるようになり、これが思考を消す上でとても良いと思う。
だから、数多くやれる楽な運動であることが大切である。
呼吸法より、こういった身体を動かす方法の方が楽で続き易い場合が多いと思う。
また、種を明かせば、霊力のあるマントラなんてものはない。
まあ、言ってみれば、自分であると思えばあるというだけのことだ。
だから、霊力があるマントラなんて言ってる者には関わらないことだ。単に商売だから。
だいたい、神仏が、そんなマントラを、えこひいきして一部の人だけが知ることが出来るようにするはずがないじゃないか?
ただ、マントラは唱え易い言葉が多いという意味では価値があり、好きなものを使えば良いと思う。
ある意味、どんなマントラも驚くべき効果があると言えると思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(2)左脳さん、右脳さん(ネドじゅん)
(3)佐川幸義 神業の合気
(4)超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)
(5)ナ・ダーム ~あなたの中の不思議な力~
AIアート911
「生命力」
Kay
物質的な繁栄と言っても、運命でなければ大金持ちになることはないが、普通はかなり恵まれるし、たとえそれほどではなくても不満を感じることはない。
だが、悟りについては誤解が多い。
悟りとは思考を消すことだが、それで納得し難ければ、余計な思考をしなくなることと思うと良い。
私には本物かどうかは分からないが、書籍やネットでよく知られているネトじゅんさんという人が言う「頭の中の思考が消えてしまった」というのが、さとりを分かり易く示していると思う。
他にも、「世界が自分の中にあることを実感した」とか「全てが透明になった」と言う人もいて、感じ方は異なるものだ。
だが、いずれの場合も、ごく普通の人間のまま生きられるし、ある意味、本当の意味で普通・・・当たり前になるのだ。
また、頭の中から思考が消えたと言っても、思考が出来ないわけではなく、必要な思考は行うが、思考に支配されてしまうことはなく、本当に「必要な思考だけする」というものである。
その思考も、自動的に起こっていることが分かり、質問や問題に対する答がぱっと分かるし、今後のスポーツの試合結果程度なら分かってしまうこともあるが、それで利益を得ようという発想は湧かないし、興味本位や邪な目的で試合結果を尋ねられても、答が浮かばなかったり、答が分かっても言わない。
だが、悟りを得ても、やはり全く普通の人なのである。
単に楽しいから、人に優しいし親切にするし、優しくされたり親切にされると喜びを感じる。
目的があって人に親切にするわけではないので、物質主義的な世の中では誤解されることもある。
「目的もないのに、なぜそんな親切をするのだ?おかしいじゃないか。何か狙いがあるのだろう?」
とか言われ、そう言われたら、悟りを得た人だって、ちょっとは嫌な気分になるかもしれない。
サービス業の会社の会員になると、誕生日ごとにお祝いメールとかお祝いの郵便が来たりするが、それは、本当に誕生日を祝福しているのではなく、「お誕生日は10パーセントオフ」とか言って何か買わせる目的だったり、広告を送り付ける手段にしているだけで、悟りを得た人がやるのとは全く正反対の行為であるが、そんな会社はもう潰れていくだろう。
本当に親切で優しいことを行う会社のみが繁栄することになる。
善意が湧かないのに繁栄すると、必ず不幸が起こる。なぜかと言われても、そういうものなのだ。
こういったところは、人も会社も同じだ。
思考を消す、悟りを得る方法は無限にあり、自分の好きなもの、やり易いものをやればいい。
別に、特別な方法があるわけではない。
マントラを唱え続ければ思考が消え悟りが得られると教える団体があるが、マントラは各自に最適なものがあり、それを教えてやるから何十万円もよこせ・・・なんてのは、私はどうかと思う。神とか宇宙の意志みたいなものがあれば、そんな偏ったことをするとは思えない。
腕振り運動や佐川幸義流四股を延々やるというのは、とても良いと思う。
別にダイエット目的でも構わないが、出来るだけ数多くやっていると、無目的で淡々とやるようになり、これが思考を消す上でとても良いと思う。
だから、数多くやれる楽な運動であることが大切である。
呼吸法より、こういった身体を動かす方法の方が楽で続き易い場合が多いと思う。
また、種を明かせば、霊力のあるマントラなんてものはない。
まあ、言ってみれば、自分であると思えばあるというだけのことだ。
だから、霊力があるマントラなんて言ってる者には関わらないことだ。単に商売だから。
だいたい、神仏が、そんなマントラを、えこひいきして一部の人だけが知ることが出来るようにするはずがないじゃないか?
ただ、マントラは唱え易い言葉が多いという意味では価値があり、好きなものを使えば良いと思う。
ある意味、どんなマントラも驚くべき効果があると言えると思う。
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(1)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(2)左脳さん、右脳さん(ネドじゅん)
(3)佐川幸義 神業の合気
(4)超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)
(5)ナ・ダーム ~あなたの中の不思議な力~
AIアート911
「生命力」
Kay
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