どんな分野でも、師匠が弟子を見ていて「こいつはいい」「こいつは駄目」ってのは、すぐ分かると思う。
まあ、素質とか、師匠と弟子の相性とか、単に師匠の好き嫌いということもあるだろうが、師匠に「こいつは才能は劣るが、何かいい」と思わせる弟子や、師匠は気に食わないタイプと思いながらも無視出来ない弟子もいる。
そして、師匠も、その弟子のどこに見所があるのか分からない場合もある。
別に師弟関係の話でなくても、実力がつくかつかないかを分ける重要な鍵があると思う。
それは言語化が難しいのかもしれないが、本当は案外に簡単なことかもしれない。

イチローがある高校の野球部員を指導した時、選手達に「ちゃんとやってよ」と言ったというのが印象的だった。
私は弟子を取るほどの者ではないが、プログラマー志望者にしろ、カウンセリングで職業相談に乗った場合にしろ、まさに、「ちゃんとやってよ」と言いたいと思う。
つまり、「ちゃんとやれる」者だけが実力をつけるのだと思う。

では、ちゃんとやるとはどういうことだろうか?
つまり、「ちゃんとやる」では抽象的過ぎるので、もう少し抽象度を下げないと意味が伝わらない。
イチローに「ちゃんとやって」と言われた野球部員達は戸惑ったはずだ。

それで、最も適切には「ちゃんとやる」は「丁寧にやる」だと思う。
これは日本的でもある。
日本では、何ごとも、道具を大切にすることが基本だ。
それは、道具を丁寧に扱うことで、丁寧さを修得させることにつながるからだ。
道具を雑に、いい加減に扱う者は決して伸びない。
人間は一事が万事で、道具を丁寧に扱えない者は、何でも丁寧にやらないのだ。
天才と言われる人だって、ものになる者は、楽器にしろ、テキストやノートにしろ、筆やペンにしろ、実に丁寧に扱う。
才能があっても、それらを大切に扱わない者は結局ものにならない。

引き寄せこそ、まさに丁寧さがキーポイントなのだと思う。
アファーメーションにしろ、呼吸法にしろ、その他のメソッドにしろ、成果を出せる者は、実に丁寧に行うものだ。
メソッドを丁寧にやることが、同時に、最高のメソッドである今今メソッドになる。
今今メソッドとは、丁寧にやることと同じと思う。
メソッドでなくても、食事だって、丁寧に食べていれば、「今食べている」という感覚になる。これこそが今今メソッドだ。
コニー・メンデスが教える「私は〇〇」と唱えるアファーメーションにしても、丁寧に「私は豊かだ」と唱える者のみがうまくいくはずだ。
「集中する」というのは「丁寧にやる」ということで、丁寧にやれば集中する。
引き寄せに限らず、メソッドのポイントは集中であるが、「集中しろ」と言われても難しいが「丁寧にやれ」であれば容易であると思う。
メソッドのテクニックなど、取るに足りない。丁寧さが全てと言えると思う。
少々間違ったメソッドのやり方であっても、そんなことより丁寧さの方が千倍も大切と思う。
また、腕振り運動も、佐川幸義流四股も、速くやっても構わないが、雑にやっては効果はなく、丁寧にやらないといけない。
これらを丁寧にやるだけでも、引き寄せが自然に起こると思う。それは今今メソッドでもあるからだ。

凛として
AIアート892
「凛として」
Kay


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