このところ書いている、神に復帰するために「神でないふりをやめる」方法についてさらに書く。
何かでないふりをやめるには、最も簡単に思いつくのは、自分がその「何か」であることを自分に言い聞かせることだ。
それで言えば、「神でないふりをやめる」には、「私は神だ」と自分に言い聞かせれば良いのだが、「私は神だ」と言う者は大抵、頭のおかしなやつで、精神病院にいるらしい(笑)。
なぜ、「自分は神だ」と言う者がおかしいのかというと、そう言っている者が、神でないふりをしている者であるからだ。
神でないふりをしている者が言うことは全部嘘である。
本当のことを言いたいなら、「私は、私は神ではないと言う者ではない」だが、人間は馬鹿だから、二重否定はすっきり理解出来ない・・・つまり、わけがわからない。
『乱歩奇譚 Game of Laplace』(2015)というアニメがある。
江戸川乱歩没50年を記念して作られた作品ということで、江戸川乱歩の『怪人二十面相』のお話を基に、現代風に作られている。
江戸川乱歩作品の少年探偵団の小林少年に該当するのは、コバヤシという名の13歳の少年だ。
だが、コバヤシは、優秀ではあるのだが、外見は美少女の萌えキャラそのもので、時々女装すると、完全にただの美少女である。
どうやら、コバヤシ本人は自分が男であるという自覚はあるようだが、時々、それも疑わしいような振る舞いもする。
そのコバヤシは、捜査の必要上から女装もするのだが、そんな時は、「女のふり」と同時に「男でないふり」をしていることになる。
では、コバヤシが「男でないふり」をし過ぎたら本当に女になるのかというと、そんなことはない。
つまり、いかにコバヤシが「男でないふり」をしても、彼が男であることに変わりはない。
我々が神であることについても同じである。
我々がいかに「神でないふり」をしても、我々が神であることに変わりはないのだ。
もし、コバヤシが「男でないふり」をするあまり、自分が男であることを忘れたらどうすれば良いだろうか?
これが核心であることは分かると思う。
そして、あのニサルガダッタ・マハラジが、神でないふりを実際にやめることが出来た実証済みの方法で、マハラジも勧めている方法がある。
マハラジは、それをやったので、修行をいっさいせずに悟った・・・神でないふりをやめることが出来たのだ。
それは、自分が神であると憶えていることだ。
つまり、コバヤシは、自分が男であることを、信じなくていいから、ただ憶えていれば良いのである。
我々も、自分に言い聞かせるつもりも、宣言するつもりもなく、そして、信じなくていいから、単に事実として「私は神だ」と憶えていれば良い。
全く無感情に「私は神だ」と言っても良いのである。
「太陽が地球や月より大きいのと同じように、私は神である」といった感じである。

AIアート878
「物の怪がついてくる」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)エイリアン・インタビュー
(2)乱歩奇譚 Game of Laplace ※Amazon dアニメストア
(3)乱歩奇譚 Game of Laplace(1)夢 ※漫画
(4)アイ・アム・ザット 私は在る~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
何かでないふりをやめるには、最も簡単に思いつくのは、自分がその「何か」であることを自分に言い聞かせることだ。
それで言えば、「神でないふりをやめる」には、「私は神だ」と自分に言い聞かせれば良いのだが、「私は神だ」と言う者は大抵、頭のおかしなやつで、精神病院にいるらしい(笑)。
なぜ、「自分は神だ」と言う者がおかしいのかというと、そう言っている者が、神でないふりをしている者であるからだ。
神でないふりをしている者が言うことは全部嘘である。
本当のことを言いたいなら、「私は、私は神ではないと言う者ではない」だが、人間は馬鹿だから、二重否定はすっきり理解出来ない・・・つまり、わけがわからない。
『乱歩奇譚 Game of Laplace』(2015)というアニメがある。
江戸川乱歩没50年を記念して作られた作品ということで、江戸川乱歩の『怪人二十面相』のお話を基に、現代風に作られている。
江戸川乱歩作品の少年探偵団の小林少年に該当するのは、コバヤシという名の13歳の少年だ。
だが、コバヤシは、優秀ではあるのだが、外見は美少女の萌えキャラそのもので、時々女装すると、完全にただの美少女である。
どうやら、コバヤシ本人は自分が男であるという自覚はあるようだが、時々、それも疑わしいような振る舞いもする。
そのコバヤシは、捜査の必要上から女装もするのだが、そんな時は、「女のふり」と同時に「男でないふり」をしていることになる。
では、コバヤシが「男でないふり」をし過ぎたら本当に女になるのかというと、そんなことはない。
つまり、いかにコバヤシが「男でないふり」をしても、彼が男であることに変わりはない。
我々が神であることについても同じである。
我々がいかに「神でないふり」をしても、我々が神であることに変わりはないのだ。
もし、コバヤシが「男でないふり」をするあまり、自分が男であることを忘れたらどうすれば良いだろうか?
これが核心であることは分かると思う。
そして、あのニサルガダッタ・マハラジが、神でないふりを実際にやめることが出来た実証済みの方法で、マハラジも勧めている方法がある。
マハラジは、それをやったので、修行をいっさいせずに悟った・・・神でないふりをやめることが出来たのだ。
それは、自分が神であると憶えていることだ。
つまり、コバヤシは、自分が男であることを、信じなくていいから、ただ憶えていれば良いのである。
我々も、自分に言い聞かせるつもりも、宣言するつもりもなく、そして、信じなくていいから、単に事実として「私は神だ」と憶えていれば良い。
全く無感情に「私は神だ」と言っても良いのである。
「太陽が地球や月より大きいのと同じように、私は神である」といった感じである。

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「物の怪がついてくる」
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