昨日書いた、『エイリアン・インタビュー』で語られたことが重要であると思うので取り上げる。
それは、我々が、
「神でないふりをすることで神をやめた」
ということである。
まず、何でそんなこと(神でないフリ)をしたのであるかだが、アメリカの女性作家で事業家であるチン・ニンチュウは、若い時に聖職者に教わったということだったと思うが、答は「楽しいから」であったと思う。
何でもすぐ実現してしまったら面白くないというのは、そんな気がしないでもない。
ところが、イギリス生まれのアメリカの哲学者で作家であるアラン・ワッツは、子供の1人遊びにたとえていた。
つまり、子供が1人で退屈な時、家族ごっこを始め、自分1人で、お父さん役、お母さん役、子供役、赤ん坊役を演じていたが、やがて、これが遊びであることを忘れ、本当にお父さんやお母さんや赤ん坊がいると思い込んでしまったというものだ(あくまでたとえなので、間抜け過ぎるなどとは思わないで欲しい)。
チェコ出身のイスラエルの発明家であったイツァク・ベントフは、もっと他愛ない遊びにたとえていたが、やはり、神様が2役の一人遊びを始めたようなものだと述べていた。

しかし、現代であればシミュレーションゲームにたとえるのが適当と思われる。
つまり、敵や味方や恋人や友人などが登場するゲームをしているうちに、ゲームを現実だと思い込んでしまったのだ。
『ソードアート・オンライン』のようなバーチャルゲームが出来たら、実際にそんなことが起こる可能性が高いだろう。
そして、これが肝心かもしれないが、今既にそうなっており、この世界はバーチャルなシミュレーションゲームである・・・即ち、シミュレーテッド・リアリティであるかもしれないということだ。
イギリスの哲学者ニック・ボストロムやアメリカの事業家イーロン・マスクが、この世界がシミュレーション世界であるとほぼ断言していることが有名であるが、当然、他にもそう思っている科学者や思想家などは大勢いる。

『エイリアン・インタビュー』で言う「自分が神ではないというフリをする」というのは、バーチャルゲーム内において、自分はただのゲームプレーヤーであり、ゲームの最高管理者ではないというフリをしているということだろう。
つまり、面白いゲームを作り、自分はその最高管理権限を持っているのに、そのことを忘れ、ただのプレーヤーとしてゲームをしている状態である。
そして、ゲームが下手なフリをし過ぎて、ロクでもない状態になり、本気で苦しがっているのだから世話がない(笑)。
それで、「ゲームをやめて管理者に戻る方法を教えて」とか言うのだが、そんなこと知るかである(笑)。

自分が管理者、あるいは、神であることを思い出す鍵は自分で残している。
それは、コツってやつである。
「このドアが開かないんだけど」
「ああ、そのドアの開け方にはコツがあるんだ。まずドアノブを左に少し回し・・・」
といったもので、あなたにも1つや2つあるだろう。
神であるあなたは、そんなところに、ゲームを終了させる鍵を設定したのだ。
簡単に言えば、誰も知らない、自分しか知らないことだ。
つまり、神しか知らないのだ。
それを見つけることである。
他にも方法はあるが、今回はこれを書いておく。

誓い
AIアート877
「誓い」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)エイリアン・インタビュー
(2)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(3)高次意識界へのガイドツアー(イツァク・ベントフ)
(4)「ラットレース」から抜け出す方法(アラン・ワッツ)
  
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