一頃から、アニメ等で「チート」というものが流行っている。
チートとは「騙す」という意味で、アニメ等では、反則的なほどの圧倒的な力を持つことである。
そして、最近のアニメでは、チート能力を不正な方法で得るのではなく、ごく真っ当な方法で得たり、与えられるというものが多いと思う。
そんなチート能力を持った主人公は、戦いになれば、どれほど強大な敵や大勢の敵が現れても、余裕綽々で楽勝する。
たとえば、アニメ『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』では、主人公の高遠夜霧(たかとおよぎり)は、相手を決めて「死ね」と思えば、その相手が即死するというチート能力を持つ。相手がどれほど大勢でも、神のごとく強くても、その力は完全に機能する。だから、最初から戦いにもならない。
おそらく、これらのほとんどのアニメで、チート能力を持つ者は、わずかなピンチにすら陥ることはない。
昔であれば、こういった設定(ヒーローがチート能力を持つ)はありえなかったと思う。
ヒーローが強過ぎてはかえって面白味がなく、ヒーローも強いが敵も強くて、ピンチに陥ってハラハラドキドキさせたり、さらには絶体絶命の状態を根性で逆転勝利するところに見ごたえがあると考えられていたと思う。
それどころか、スペック的には敵の方がずっと強いのに、正義のヒーロー達はチームワークや「愛する人を守ろうとする美しい心」を武器に、傷だらけになりながら最後の最後で勝利して感動させるのも人気のストーリーパターンであると思う。
で、細かい話をし出すとキリがないので結論を言うと、若い人・・・と言うか、クリアな精神を持つ者にとって、チートこそ正しいということが分かって、いや、バレてしまったのだと思う。
昔は、敵やライバルと競い、苦しみながら戦うことが美徳と考えられていたが、これは何のことはない、支配者の洗脳であった・・・ということかもしれない。
こう言うと、「いやいや、そんな甘ったれたご都合主義的な考え方を持ってはならない。現実は厳しく、我々は知恵と勇気をもって戦わねばならない」という、これまでの世界ではまっとうなことを言う人達が多いが、それらの人達はすっかり支配者に教育されてしまっている・・・つまり、洗脳されているのかもしれない。
こう言っても、納得しない人が多いと思う。
そんな人には説得は難しい。
「チートは正しくない。正しくないし面白くもない」という長年の洗脳は、そう簡単には解けない。
まあ、深い洗脳は、何であれ解くのは難しい。
ところで、昔から、「最後の切り札」というものがあった。
奥の手とか、最終兵器とも言われるだろう。
しかし、「切り札は最後まで取っておくものだ」というフレーズがある通り、切り札、奥の手は、出せば勝てる可能性があるが、1回しか使えない。そして、出しても必ずしも勝てるとは限らない。
だが、絶対的な(必ず勝てる)切り札を、いつでも無制限に使えるのが正しいのである。
チート能力を当然持っている存在を、多くの人は神と呼ぶ。
聖書には、「神に出来ないことは何一つない」と書かれている。
『エイリアン・インタビュー』の中の言葉を、ややこしい言い回しをやめてシンプルに言えばこうなると思う。
「人間は神である。では、どうやって神であることをやめたのか?自分は神ではないというふりをすることによってだ」
『エイリアン・インタビュー』の全部が正しいわけではないと思うが、これに関しては、多くの賢者の意見が一致している。
全知全能でないふり、年老いて死ぬふり・・・どうして、そんなふりをするのかというと、強制的にさせられているという説もあるが、その方が面白いからだと言う話もある。多分、正しいのは後者だ。
力に制限があった方が楽しいというのが、ウルトラマンやセーラームーンなどでもお馴染みの考え方だ。
だが、そろそろごっこをやめないと拙いかもしれない。
AIアート876
「呼び声を聴く」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。(Amazon Prime Video)
(2)異世界でチート能力を手にした俺は 現実世界をも無双為る ~レベルアップは人生を変えた~(Amazon Prime Video)
(3)陰の実力者になりたくて!(Amazon Prime Video)
(4)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(5)高次意識界へのガイドツアー(イツァク・ベントフ)
(6)エイリアン・インタビュー
チートとは「騙す」という意味で、アニメ等では、反則的なほどの圧倒的な力を持つことである。
そして、最近のアニメでは、チート能力を不正な方法で得るのではなく、ごく真っ当な方法で得たり、与えられるというものが多いと思う。
そんなチート能力を持った主人公は、戦いになれば、どれほど強大な敵や大勢の敵が現れても、余裕綽々で楽勝する。
たとえば、アニメ『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。』では、主人公の高遠夜霧(たかとおよぎり)は、相手を決めて「死ね」と思えば、その相手が即死するというチート能力を持つ。相手がどれほど大勢でも、神のごとく強くても、その力は完全に機能する。だから、最初から戦いにもならない。
おそらく、これらのほとんどのアニメで、チート能力を持つ者は、わずかなピンチにすら陥ることはない。
昔であれば、こういった設定(ヒーローがチート能力を持つ)はありえなかったと思う。
ヒーローが強過ぎてはかえって面白味がなく、ヒーローも強いが敵も強くて、ピンチに陥ってハラハラドキドキさせたり、さらには絶体絶命の状態を根性で逆転勝利するところに見ごたえがあると考えられていたと思う。
それどころか、スペック的には敵の方がずっと強いのに、正義のヒーロー達はチームワークや「愛する人を守ろうとする美しい心」を武器に、傷だらけになりながら最後の最後で勝利して感動させるのも人気のストーリーパターンであると思う。
で、細かい話をし出すとキリがないので結論を言うと、若い人・・・と言うか、クリアな精神を持つ者にとって、チートこそ正しいということが分かって、いや、バレてしまったのだと思う。
昔は、敵やライバルと競い、苦しみながら戦うことが美徳と考えられていたが、これは何のことはない、支配者の洗脳であった・・・ということかもしれない。
こう言うと、「いやいや、そんな甘ったれたご都合主義的な考え方を持ってはならない。現実は厳しく、我々は知恵と勇気をもって戦わねばならない」という、これまでの世界ではまっとうなことを言う人達が多いが、それらの人達はすっかり支配者に教育されてしまっている・・・つまり、洗脳されているのかもしれない。
こう言っても、納得しない人が多いと思う。
そんな人には説得は難しい。
「チートは正しくない。正しくないし面白くもない」という長年の洗脳は、そう簡単には解けない。
まあ、深い洗脳は、何であれ解くのは難しい。
ところで、昔から、「最後の切り札」というものがあった。
奥の手とか、最終兵器とも言われるだろう。
しかし、「切り札は最後まで取っておくものだ」というフレーズがある通り、切り札、奥の手は、出せば勝てる可能性があるが、1回しか使えない。そして、出しても必ずしも勝てるとは限らない。
だが、絶対的な(必ず勝てる)切り札を、いつでも無制限に使えるのが正しいのである。
チート能力を当然持っている存在を、多くの人は神と呼ぶ。
聖書には、「神に出来ないことは何一つない」と書かれている。
『エイリアン・インタビュー』の中の言葉を、ややこしい言い回しをやめてシンプルに言えばこうなると思う。
「人間は神である。では、どうやって神であることをやめたのか?自分は神ではないというふりをすることによってだ」
『エイリアン・インタビュー』の全部が正しいわけではないと思うが、これに関しては、多くの賢者の意見が一致している。
全知全能でないふり、年老いて死ぬふり・・・どうして、そんなふりをするのかというと、強制的にさせられているという説もあるが、その方が面白いからだと言う話もある。多分、正しいのは後者だ。
力に制限があった方が楽しいというのが、ウルトラマンやセーラームーンなどでもお馴染みの考え方だ。
だが、そろそろごっこをやめないと拙いかもしれない。
AIアート876
「呼び声を聴く」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。(Amazon Prime Video)
(2)異世界でチート能力を手にした俺は 現実世界をも無双為る ~レベルアップは人生を変えた~(Amazon Prime Video)
(3)陰の実力者になりたくて!(Amazon Prime Video)
(4)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(5)高次意識界へのガイドツアー(イツァク・ベントフ)
(6)エイリアン・インタビュー
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