私は、日本で成功した電子掲示板である「2ちゃんねる」とか「5ちゃんねる」を見たことはほぼないし、何ごとも試してみるべきという想いで、ごく短期間、投稿をしたこともあるが、それっきりだ。
ところが、それらの電子掲示板の面白いスレッド(話題ごとのメッセージの流れ)を、主に音声読み上げソフト・音声読み上げサービスで音声化したものをYouTubeで投稿することがよく行われており、私もそれらはよく見る。
まあ、投稿者は電子掲示板管理者から許可を取っているとは思えないが、文句を言われることもないように思う。
それで、私はオカルト話を中心に時々見るのだが、感心するほど面白い・・・と言うより高度な話も少なくない。
実在したら涼宮ハルヒが喜びそうな、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者等の話には、実話と謳いながら創作ではあるのだろうが、プロの作家とはまた異なるスタイルで書かれた内容で、非常に素晴らしいものもある。
その中で、レプティリアン(爬虫類型宇宙人)を自称する人物の話に非常に感銘を受けてしまった。
彼は、地球人に紛れ、平凡な人間を装って生活しているらしいが、人間のことは食べ物と心得ており、人間達に気付かれないよう食べているのだが、それは政府も黙認しているらしい。
人間は恐怖を感じると、血液や体液の状態が変化し、とても美味しいらしく、そのような状態にしてから食べると言う。
しかし、それを明かしながらも、掲示板上ではお互い楽しく会話しているのは、もちろん、創作であると認識されているからだろう。
とはいえ、楽しむためには、見ている間はノンフィクションと思わないといけない。
そのように、レプティリアンは人間を食べるし、また、高度なテクノロジーを持つ宇宙人も度々戦争をするし、侵略・征服、その他、力による搾取や支配と思えることも行われている。
そんなことをするレプティリアンなどの宇宙人を利己的、残酷、非道と思うだろうが、そのレプティリアンは、地球人の方がよほど、利己的、残酷、非道ではないかと言う。
その理由は、いまだ、貨幣制度や法律、宗教などを持っているからだ。
これらのものがあるからこそ、一部の支配者が贅沢三昧をし、大多数の庶民が苦しんでいるのだと言う。
支配者も悪いが、庶民も悪いと言う。
どう悪いかというと、どちらも弱いから悪いのである。
どういうことかと言うと、沢山お金を持つことで安全でいたいというのが、どうしようもない弱さだと言う。
貨幣制度や法律、宗教は、自分が高い地位に就くことで富を得、安心を求めるためのものだからだ。
これに関して、私は思い出すことがある。
『幸福な王子』で知られるオスカー・ワイルドが、何かの作品で、イエス・キリストに救われた人々の後日談を書いている。
盲目だったのがイエスによって見えるようになった人、死んでいたのをイエスによって甦らされたラザロ、石打ちで処刑されかけたところを「罪のない者から投げよ」というイエスのとりなしで命を救われた女などである。
それら、イエスに救われた人々は、全員が不幸になっていたのである。それも、どうしようもないほど惨めになっていたのだ。
つまり、イエスがやったことはロクでもないことだったというわけだ。
その話を読んだ「20世紀最大の詩人」と呼ばれたノーベル賞作家W.B.イェイツは感動し、『カルヴァリー』という戯曲を書いた。
十字架に磔にされたイエスが、ローマ兵達に言う。
「私が神に願えば、すぐに助けが来る」
それを聞き、ローマ兵達は、
「それは俺たちの神ではない。俺たちの神はサイコロだ。予期せぬことでさえあれば、どんなことも起こることが最善なのだ」
と言い、イエスは彼らの強さに屈服し、
「父よ、なぜ私を見捨てた」
と言う。
イエスを裏切ったユダもイエスに言う。
「俺はお前が神であることを疑ったことなどない。だが、お前が笛を吹いたら踊らなけばならないことが耐えられなかった」
ユダは、好きなように踊る強い人間でありたかったのだ。たとえそれで殺されても。
お金や宗教を大事にする限り、人間は弱く不幸なのかもしれない。
おそらくだが、『君たちはどう生きるか』などといったタイトルの映画を有り難がって見ている人間も弱いのではないかと思う。

AIアート869
「真夜中」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)快楽主義の哲学(澁澤龍彦)
(2)自分の中に毒を持て(岡本太郎)
(3)アラーキー語録 人間、泣かなくちゃ。(荒木経惟)
(4)オンディーヌ(ジロドゥ)
(5)二十六人の男と一人の女(ゴーリキー)
ところが、それらの電子掲示板の面白いスレッド(話題ごとのメッセージの流れ)を、主に音声読み上げソフト・音声読み上げサービスで音声化したものをYouTubeで投稿することがよく行われており、私もそれらはよく見る。
まあ、投稿者は電子掲示板管理者から許可を取っているとは思えないが、文句を言われることもないように思う。
それで、私はオカルト話を中心に時々見るのだが、感心するほど面白い・・・と言うより高度な話も少なくない。
実在したら涼宮ハルヒが喜びそうな、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者等の話には、実話と謳いながら創作ではあるのだろうが、プロの作家とはまた異なるスタイルで書かれた内容で、非常に素晴らしいものもある。
その中で、レプティリアン(爬虫類型宇宙人)を自称する人物の話に非常に感銘を受けてしまった。
彼は、地球人に紛れ、平凡な人間を装って生活しているらしいが、人間のことは食べ物と心得ており、人間達に気付かれないよう食べているのだが、それは政府も黙認しているらしい。
人間は恐怖を感じると、血液や体液の状態が変化し、とても美味しいらしく、そのような状態にしてから食べると言う。
しかし、それを明かしながらも、掲示板上ではお互い楽しく会話しているのは、もちろん、創作であると認識されているからだろう。
とはいえ、楽しむためには、見ている間はノンフィクションと思わないといけない。
そのように、レプティリアンは人間を食べるし、また、高度なテクノロジーを持つ宇宙人も度々戦争をするし、侵略・征服、その他、力による搾取や支配と思えることも行われている。
そんなことをするレプティリアンなどの宇宙人を利己的、残酷、非道と思うだろうが、そのレプティリアンは、地球人の方がよほど、利己的、残酷、非道ではないかと言う。
その理由は、いまだ、貨幣制度や法律、宗教などを持っているからだ。
これらのものがあるからこそ、一部の支配者が贅沢三昧をし、大多数の庶民が苦しんでいるのだと言う。
支配者も悪いが、庶民も悪いと言う。
どう悪いかというと、どちらも弱いから悪いのである。
どういうことかと言うと、沢山お金を持つことで安全でいたいというのが、どうしようもない弱さだと言う。
貨幣制度や法律、宗教は、自分が高い地位に就くことで富を得、安心を求めるためのものだからだ。
これに関して、私は思い出すことがある。
『幸福な王子』で知られるオスカー・ワイルドが、何かの作品で、イエス・キリストに救われた人々の後日談を書いている。
盲目だったのがイエスによって見えるようになった人、死んでいたのをイエスによって甦らされたラザロ、石打ちで処刑されかけたところを「罪のない者から投げよ」というイエスのとりなしで命を救われた女などである。
それら、イエスに救われた人々は、全員が不幸になっていたのである。それも、どうしようもないほど惨めになっていたのだ。
つまり、イエスがやったことはロクでもないことだったというわけだ。
その話を読んだ「20世紀最大の詩人」と呼ばれたノーベル賞作家W.B.イェイツは感動し、『カルヴァリー』という戯曲を書いた。
十字架に磔にされたイエスが、ローマ兵達に言う。
「私が神に願えば、すぐに助けが来る」
それを聞き、ローマ兵達は、
「それは俺たちの神ではない。俺たちの神はサイコロだ。予期せぬことでさえあれば、どんなことも起こることが最善なのだ」
と言い、イエスは彼らの強さに屈服し、
「父よ、なぜ私を見捨てた」
と言う。
イエスを裏切ったユダもイエスに言う。
「俺はお前が神であることを疑ったことなどない。だが、お前が笛を吹いたら踊らなけばならないことが耐えられなかった」
ユダは、好きなように踊る強い人間でありたかったのだ。たとえそれで殺されても。
お金や宗教を大事にする限り、人間は弱く不幸なのかもしれない。
おそらくだが、『君たちはどう生きるか』などといったタイトルの映画を有り難がって見ている人間も弱いのではないかと思う。

AIアート869
「真夜中」
Kay
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(1)快楽主義の哲学(澁澤龍彦)
(2)自分の中に毒を持て(岡本太郎)
(3)アラーキー語録 人間、泣かなくちゃ。(荒木経惟)
(4)オンディーヌ(ジロドゥ)
(5)二十六人の男と一人の女(ゴーリキー)
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