よく「潜在意識を書き換える」なんてことを言う者がいるが、潜在意識など書き換えることなど出来ない。
また、「潜在意識が汚れている」とか「潜在意識に記憶が溜まる」などといったことを言う者もいるが、汚れたり記憶が溜まるのは潜在意識ではなく、心の深い部分であると思う。
潜在意識は巨大なエネルギーを持った精神的システムであると思うが、まだまだ人間にとって謎の存在であると思う。
偏見とか固定観念といったものは、潜在意識ではなく、心の深い部分にあるものだ。
偏見も固定観念も同じと思うが、明らかに悪いものを偏見と言い、必ずしも悪とは言えないものを固定観念と言っているように思う。しかし、やはりそれらは同じものであると思う。
それで、両者を偏見と一言でまとめる。
誰の心の中にも偏見はある。
アインシュタインは18歳までに(要はかなり若い頃までに)作ってしまった偏見に苦しみ、それを自分ではどうすることも出来なかったと言っていた。
それは(若い時に偏見を持ったことは)誰もがそうなのだが、アインシュタインは強い自覚があったところが特別だったと思う。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を提示し、神が偶然にまかせるようなことはないと主張したが、これは彼の偏見から来ていた。だから彼は、量子力学の元を築きながら量子力学を否定する(あるいは理解出来なかった)ということをやってしまった。
アインシュタインは欲がない純粋で善良な人間だと言われるが、独善的で怒りっぽかったとも言われている。
しかし、アインシュタインが実際にどんな人間だったかは全く分からないと思う。世間で知られている彼の情報なんて、非常に限られたものでしかないと思うからだ。
だが、かなりの欠点がある人間であったことは確かと思う。
ただ、アインシュタインが自分の偏見に自覚があったところは素晴らしく、それが彼の天才であった所以かもしれないと思う。
普通の人は自分の偏見にあまり気が付かないのだ。
自分の偏見に気付きたければ、親(育ての親)の心の傾向性を見れば、かなり見当がつくのではないかと思う。
結局、自分の心の傾向性は親の心の傾向性とそっくりだと分かると思う。良いか悪いかの問題ではなく、ほとんどそうだし、それを否定する者ほどそうであるようにも思う。
ただ、偏見は、消すことは出来なくても、不活性化させることは出来ると思う。
たとえば、人種差別の偏見を実際には持っていても、理性でそれを抑えることは出来る。
だが、偏見は刺激されるとたちまち活発化し、多くの場合、その暴走とも言える働きを止められない。
そして、最も偏見を刺激する存在は、同じ偏見を持つ親だから、つくづく親とはさっさと縁を切り、離れた方が良い。
大昔は、男も女も、遅くとも15歳までには家を出、それが今生の別れとなったが、それが最も良いと思う。一時的な寂しさはあっても、3日もすればお互いのことは忘れる。元々、そんなふうに出来ているのだと思う。
ところが、今や、親べったり、子べったりの者が多く、そのせいで偏見で動く人間が多いし、学校やマスコミによって同じ国家的な偏見を叩き込まれている者が多いことが、実は国を一番弱くしているのかもしれない。
偏見の影響を免れることについては、ニーチェあたりが非常に難しいことを言っており、その論は大したものかもしれないが、あんなものに付き合っていたら一生を棒に振りかねないと思う。
偏見の影響を免れ、潜在力を発揮するには、思考を消すことが1番で、実際は2番はないように思う。
簡単なことで言えば、ほとんどの国民は、自分は貧乏であるという偏見があるので、思考を消さない限り豊かにはなれず、一時的に豊かになっても、結局は貧しくなる。
あなたが成功出来なかったり、金持ちになれない理由は、親から与えられた偏見である場合が非常に多いのだと思う。
それで、今のところ、私が最上と思う思考を消す方法が今今メソッドで、この、今この瞬間を意識するというだけのメソッドが最も簡単で楽しく幸福をもたらすと思う。

AIアート865
「清々しい朝」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)人間の建設(岡潔、小林秀雄対談)
(2)共同幻想論(吉本隆明)
(3)天才の通信簿(ゲルハルト・プラウゼ)
(4)エミール(上)(ルソー)
(5)ダイアネティックス~心の健康のための現代科学~(L.ロン.ハバード)
また、「潜在意識が汚れている」とか「潜在意識に記憶が溜まる」などといったことを言う者もいるが、汚れたり記憶が溜まるのは潜在意識ではなく、心の深い部分であると思う。
潜在意識は巨大なエネルギーを持った精神的システムであると思うが、まだまだ人間にとって謎の存在であると思う。
偏見とか固定観念といったものは、潜在意識ではなく、心の深い部分にあるものだ。
偏見も固定観念も同じと思うが、明らかに悪いものを偏見と言い、必ずしも悪とは言えないものを固定観念と言っているように思う。しかし、やはりそれらは同じものであると思う。
それで、両者を偏見と一言でまとめる。
誰の心の中にも偏見はある。
アインシュタインは18歳までに(要はかなり若い頃までに)作ってしまった偏見に苦しみ、それを自分ではどうすることも出来なかったと言っていた。
それは(若い時に偏見を持ったことは)誰もがそうなのだが、アインシュタインは強い自覚があったところが特別だったと思う。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を提示し、神が偶然にまかせるようなことはないと主張したが、これは彼の偏見から来ていた。だから彼は、量子力学の元を築きながら量子力学を否定する(あるいは理解出来なかった)ということをやってしまった。
アインシュタインは欲がない純粋で善良な人間だと言われるが、独善的で怒りっぽかったとも言われている。
しかし、アインシュタインが実際にどんな人間だったかは全く分からないと思う。世間で知られている彼の情報なんて、非常に限られたものでしかないと思うからだ。
だが、かなりの欠点がある人間であったことは確かと思う。
ただ、アインシュタインが自分の偏見に自覚があったところは素晴らしく、それが彼の天才であった所以かもしれないと思う。
普通の人は自分の偏見にあまり気が付かないのだ。
自分の偏見に気付きたければ、親(育ての親)の心の傾向性を見れば、かなり見当がつくのではないかと思う。
結局、自分の心の傾向性は親の心の傾向性とそっくりだと分かると思う。良いか悪いかの問題ではなく、ほとんどそうだし、それを否定する者ほどそうであるようにも思う。
ただ、偏見は、消すことは出来なくても、不活性化させることは出来ると思う。
たとえば、人種差別の偏見を実際には持っていても、理性でそれを抑えることは出来る。
だが、偏見は刺激されるとたちまち活発化し、多くの場合、その暴走とも言える働きを止められない。
そして、最も偏見を刺激する存在は、同じ偏見を持つ親だから、つくづく親とはさっさと縁を切り、離れた方が良い。
大昔は、男も女も、遅くとも15歳までには家を出、それが今生の別れとなったが、それが最も良いと思う。一時的な寂しさはあっても、3日もすればお互いのことは忘れる。元々、そんなふうに出来ているのだと思う。
ところが、今や、親べったり、子べったりの者が多く、そのせいで偏見で動く人間が多いし、学校やマスコミによって同じ国家的な偏見を叩き込まれている者が多いことが、実は国を一番弱くしているのかもしれない。
偏見の影響を免れることについては、ニーチェあたりが非常に難しいことを言っており、その論は大したものかもしれないが、あんなものに付き合っていたら一生を棒に振りかねないと思う。
偏見の影響を免れ、潜在力を発揮するには、思考を消すことが1番で、実際は2番はないように思う。
簡単なことで言えば、ほとんどの国民は、自分は貧乏であるという偏見があるので、思考を消さない限り豊かにはなれず、一時的に豊かになっても、結局は貧しくなる。
あなたが成功出来なかったり、金持ちになれない理由は、親から与えられた偏見である場合が非常に多いのだと思う。
それで、今のところ、私が最上と思う思考を消す方法が今今メソッドで、この、今この瞬間を意識するというだけのメソッドが最も簡単で楽しく幸福をもたらすと思う。

AIアート865
「清々しい朝」
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(1)人間の建設(岡潔、小林秀雄対談)
(2)共同幻想論(吉本隆明)
(3)天才の通信簿(ゲルハルト・プラウゼ)
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(5)ダイアネティックス~心の健康のための現代科学~(L.ロン.ハバード)
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