不動心という言葉は、甚だしい誤解を与える言葉だと思う。
不動心などという心はない。
心とは動くことが本性で、まさに「コロコロ」と動くのがココロである。
何物にも動じないなら、不動心という心が在るのではなく、それは心がない・・・心が消えているのである。

不意のアクシデントで莫大な損失を被った社長が全く動じないなら、この社長は心が強いのではない。心がないのだ。
「そんなことはない。長い修練で鍛え上げた強い心だからこそ動じないのだ」と主張したい人もいると思う。
そうではない。
たとえば、どれほど長く厳しい訓練や実戦で心を鍛え上げた軍隊の隊長でも、戦闘で大勢の部下が命を落とせば動揺し心が乱れる。
では、もっと鍛えれば心の平静を保てるのかというと、そうはならない。
だが、たとえ、それほどの隊長でなくても、心が消えれば動揺も消える。動揺は心の状態に過ぎないからだ。
そして、心が消えれば、最善の対処をし、奇跡を起こすこともある。

サイコパスという、良心を持っていないとしか考えられない人間が100人に1人はいると言われる。
そして、サイコパスは、政治家、軍人、医者、経営者、弁護士等に向いていると言われる。
たとえば、サイコパス経営者は、会社の存続のためにリストラが必要だと判断すれば、躊躇なくリストラする。
サイコパス軍人は、その作戦が、犠牲は出すが勝てると分かると、やはり躊躇なく作戦を実行する。
サイコパス医師は、命を救うために脚を切断することが必要だと分かれば、迷わず切断する。
そのようなサイコパスは効率が良く、成果を出し易いので成功することがよくある。
ところで、サイコパスの場合は、心がないのではなく、自分を守るための心しかないのである。
だから、サイコパスは他人の価値は認めなくても、自分を重要視し、自己中心的で尊大である。
しかし、サイコパスは、自分自身が危機に陥ると、動揺し、弱いものである。

だから、サイコパスであろうがなかろうが、生き抜きたいなら、平和が欲しいなら、心を消すべきである。
心を消すことだけは努力すべきである。
その方法はいくらでもあるが、最も簡単で楽で、かつ楽しいのは、今この瞬間にフォーカスする(焦点を合わせる)今今メソッドであると思う。
今この瞬間はいつも新しいので、今に意識が合っていれば、新しい目で物事を見るが、それは感動の連続である。
それが楽しくないはずがない。
「今にフォーカスする」というのが分かり難ければ、「今、今、今、・・・」とゆっくりつぶやくと良い。
目の前の光景や物事の空気感や雰囲気を感じようとしても、今に焦点が合い易い。
今に生き、パワーを得ないと、これからの時代は危ないかもしれない。

整えられた庭園
AIアート862
「整えられた庭園」
Kay


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(1)サイコパス・インサイド(ジェームス・ファロン)
(2)診断名サイコパス(ロバート.D.ヘア)
(3)サイコパスを探せ! : 「狂気」をめぐる冒険(ジョン・ロンソン)
(4)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
  
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