いつも言うが、自在に無意識に入ることが出来るようになれば万能で、それは、仙人や魔法使いになったも同然と思う。
無意識とは、意識があるまま、思考・心が消えた状態と言って良いと思う。
よく知られていることでは、深い瞑想状態とか統一状態の時に無意識に入っていて、脳波はシータ波に下がっている。
しかし、もっと簡単に無意識に入ることが出来るようになるべきと思う。
それで、本音を言えば、無意識に入る方法で最もお薦めなのは「今今メソッド(今メソッド)」だ。
なぜなら、本当の意味で楽しく、面白く、気持ちいいからだ。
やることは、本来とても簡単で、ただ、「今に集中する」ことだけである。
エックハルト・トールの世界的ベストセラー『ザ・パワー・オブ・ナウ(翻訳:さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる)』に書かれたメソッドはこれである。
だが、この本は難しいと感じるかもしれない。
今話題のネドじゅんさんの『左脳さん、右脳さん。』で、ネドじゅんさんが考案した「川の流れの中に立つ瞑想」は、「今に集中する」ことを簡単にやれるよう工夫しているもので、自分に合っていると思ったらやれば良いと思う。
仏教、神道の教えも本来は今に集中することで、神道には「中今」という今この瞬間を表す言葉があるが、とにかく、仏教にしろ神道にしろ、抽象的に難しく言うようになってしまい、今や全く意味不明だと思う。
今に集中すれば、自然に無意識に入り、結果としては何でもうまくいくし、望まずとも幸運に恵まれるようになると思う。
つまり、引き寄せ自在の状態だ。
そんなわけで、とにかく、今に集中するよう工夫すれば良いと思う。
今に集中すると言えば、乱暴な方法を持ち出す人も少なくない。
たとえば、水に顔をつけて呼吸を我慢すれば確かに今に集中しているように感じるし、あるいは、『名人伝』(中島敦)にある修行法だが、小さな点をじっと見つめるという修行だ。
これらも何らかの効果があるのかもしれないが、緊張を高めてしまうことでの弊害が多いと思う。
良い精神的な修行は、どこか微妙でデリケートなところがある。
単純だが乱暴な方法は大抵うまくいかず、むしろ害がある。
単純で乱暴な方法は、柔らかさ、静かさがないし、短時間で成果を求めるという特徴がある。
現代人が大好きな「コスパ(コストパフォーマンス)がいい」というものでは、本当に良いものは得られない。
現代人の考え方や精神性全般が、今に生きることに向いておらず、無意識に入り難く、引き寄せを遠ざけ、自分達を地上を這う虫のようなものにしているのであると思う。
どうやれば簡単に今今メソッドが出来るのかというと、いろいろなことを言う人がいるが、私が「これだな」と思うのは、ぼーっとして目の前にあるものを見ることだ。
半眼になるとやり易いかもしれない。ぼーっと見えれば、心もぼーっとするからだ。
見ているものに無理に集中しなくて良い(してはならない)が、視線を逸らしてもならない。
これだけで、世界が消えたり、世界が生成され続けているのを感じる人もいる。
私は幼い時から、それが面白くてよくやっていたが、あまり長くはやっていられなかった。やっていたら、本当に自分か世界かのどちらかが消えてしまうかもしれない。
自分か世界が消えることは自我にとっては恐ろしいので反発が来るのかもしれない。
再度言うが、「ぼーっとして目の前にあるものを見る」ことが良い今今メソッドになると思う。
見るものは、あまり惹き付けられるもの・・・たとえば、グラビアのようなものでは駄目で(自我が活動し易い)、コップやリンゴといった他愛ないものが良い。
そういえば、ある詩人が、「ミカンを新たな目で見れば、どこから見ても美しい」と言っていたが、この「新たな目で見ること」が、まさに今今メソッドであると思う。
実際、私は、中学生くらいの頃は「新たな目で見よう」と思うだけで、即座に無意識に入れたように思う。
AIアート849
「花の気持ち」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(2)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(3)モルダウ~カラヤン指揮、ベルリン・フィル演奏~(CD)
無意識とは、意識があるまま、思考・心が消えた状態と言って良いと思う。
よく知られていることでは、深い瞑想状態とか統一状態の時に無意識に入っていて、脳波はシータ波に下がっている。
しかし、もっと簡単に無意識に入ることが出来るようになるべきと思う。
それで、本音を言えば、無意識に入る方法で最もお薦めなのは「今今メソッド(今メソッド)」だ。
なぜなら、本当の意味で楽しく、面白く、気持ちいいからだ。
やることは、本来とても簡単で、ただ、「今に集中する」ことだけである。
エックハルト・トールの世界的ベストセラー『ザ・パワー・オブ・ナウ(翻訳:さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる)』に書かれたメソッドはこれである。
だが、この本は難しいと感じるかもしれない。
今話題のネドじゅんさんの『左脳さん、右脳さん。』で、ネドじゅんさんが考案した「川の流れの中に立つ瞑想」は、「今に集中する」ことを簡単にやれるよう工夫しているもので、自分に合っていると思ったらやれば良いと思う。
仏教、神道の教えも本来は今に集中することで、神道には「中今」という今この瞬間を表す言葉があるが、とにかく、仏教にしろ神道にしろ、抽象的に難しく言うようになってしまい、今や全く意味不明だと思う。
今に集中すれば、自然に無意識に入り、結果としては何でもうまくいくし、望まずとも幸運に恵まれるようになると思う。
つまり、引き寄せ自在の状態だ。
そんなわけで、とにかく、今に集中するよう工夫すれば良いと思う。
今に集中すると言えば、乱暴な方法を持ち出す人も少なくない。
たとえば、水に顔をつけて呼吸を我慢すれば確かに今に集中しているように感じるし、あるいは、『名人伝』(中島敦)にある修行法だが、小さな点をじっと見つめるという修行だ。
これらも何らかの効果があるのかもしれないが、緊張を高めてしまうことでの弊害が多いと思う。
良い精神的な修行は、どこか微妙でデリケートなところがある。
単純だが乱暴な方法は大抵うまくいかず、むしろ害がある。
単純で乱暴な方法は、柔らかさ、静かさがないし、短時間で成果を求めるという特徴がある。
現代人が大好きな「コスパ(コストパフォーマンス)がいい」というものでは、本当に良いものは得られない。
現代人の考え方や精神性全般が、今に生きることに向いておらず、無意識に入り難く、引き寄せを遠ざけ、自分達を地上を這う虫のようなものにしているのであると思う。
どうやれば簡単に今今メソッドが出来るのかというと、いろいろなことを言う人がいるが、私が「これだな」と思うのは、ぼーっとして目の前にあるものを見ることだ。
半眼になるとやり易いかもしれない。ぼーっと見えれば、心もぼーっとするからだ。
見ているものに無理に集中しなくて良い(してはならない)が、視線を逸らしてもならない。
これだけで、世界が消えたり、世界が生成され続けているのを感じる人もいる。
私は幼い時から、それが面白くてよくやっていたが、あまり長くはやっていられなかった。やっていたら、本当に自分か世界かのどちらかが消えてしまうかもしれない。
自分か世界が消えることは自我にとっては恐ろしいので反発が来るのかもしれない。
再度言うが、「ぼーっとして目の前にあるものを見る」ことが良い今今メソッドになると思う。
見るものは、あまり惹き付けられるもの・・・たとえば、グラビアのようなものでは駄目で(自我が活動し易い)、コップやリンゴといった他愛ないものが良い。
そういえば、ある詩人が、「ミカンを新たな目で見れば、どこから見ても美しい」と言っていたが、この「新たな目で見ること」が、まさに今今メソッドであると思う。
実際、私は、中学生くらいの頃は「新たな目で見よう」と思うだけで、即座に無意識に入れたように思う。
AIアート849
「花の気持ち」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(2)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(3)モルダウ~カラヤン指揮、ベルリン・フィル演奏~(CD)
人気ランキング参加中です |