引き寄せにもいろいろ流派があるように感じるが、割と多くの流派で共通して言うことがある。
それは、聖者や聖典の教えとも共通する。
それが何かというと、「現実から目をそらす」ということだ。
引き寄せにおいては、この「現実」は「悪い現実」を指す。
つまり、うまくいっていないことから目をそらすということで、具体的には、支払いが困難な請求書とか、恋愛では、好きな人が他の人と仲良くしている状況から目をそらすということだ。
もちろん、一般的な観念でいえば、それは逃避だし、請求書から目をそらしちゃ駄目である(笑)。
もっと極端なことで言えば、家族が誘拐されたのに、それから目をそらすなどあり得ない。
聖者や聖典においては、目をそらすべき現実とは、悪い現実だけではなく、良い現実も含め、あらゆる現実である。
インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』には、「亀が手足を甲羅の中に引っ込めるように、感覚器官を外界から引っ込めろ」つまり、世界を見るなと書かれている。
もちろん、賢い人ならすぐに分かるように、いずれも(引き寄せも聖典も)、「外部の状況に囚われるな」という意味である。
もっと具体的には、『荘子』の中で何度も主張されていると思うが、
「いっさいをあるがままに見、思慮分別、是非好悪を起こしてはならない」
ということだ。
さらに明確に言うなら、思考も感情も起こすなという意味である。
それが出来れば、現実の問題もなかったことになるのだが、それがなかなか納得されない。
現実の問題を見て思考や感情を起こさなければ、問題が消えるとは思えないからだ。
だがそれは、問題を見ても思考や感情を起こさなかった者の言い分ではない。
我々凡人だって、困難な状況にある時、「冷静になれ」と言うし、「リラックスしろ」「肩の力を抜け」「焦っても仕方がない」と言い、対策としては「深呼吸をしろ」と言う。
それをもっと推し進めろということだ。
ミルトン・エリクソンという「魔法を使って治している」とまで言われた優れた精神科医がいた。
彼よりもっと有名な精神科医であるフロイトやユングよりも優秀だったと思う。
特にフロイトは、患者には感謝されたそうだが、実際は治せたことはほとんどなかったらしい。
精神の病気とは難しいものだ。
しかし、エリクソンは「魔法のように」治した。
そのエリクソンの治療方法は、患者を無意識に導くことだった。
ただ、明確にしておかないといけないのは、無意識に導く、あるいは、無意識に入れると言っても、眠らせたり失神させることではなく、「意識があるまま無意識に入れる」ということだ。
トランスという変性意識状態と言って良いかもしれない。
エリクソンは自分が無意識に入ることを自在に出来た。だからこそ、患者・・・他人を無意識に入れることが出来たのだろう。
エリクソンは、仕事の山を前にして無意識に入るという。
すると、自分では憶えていないが、気が付いたら仕事は片付いているという。
これが本当の、「問題から目をそらす」ということで、引き寄せや、あるいは、聖典は、このようなことをちゃんと説明しないので学習者は戸惑うのだ。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、登場する調査団の隊員達が仕事を前に無意識に入ると、白紙の紙に文字が勝手に浮かんで仕事が自動的に終わっていく様子が描かれている。
「そんな馬鹿な」と思うだろうが、信じるかどうかはそれぞれの勝手だ。
私は何度も書いたが、子供の時、無意識に入ることで車道の車を消したり、公共の電波で好きなものを放送させることが出来た。
これは体験なのだから仕方がない。
無意識に入る方法なんて、本が何十冊何百冊とあり、良い本も多い。
だが、大切なことは、自分で即座にやれることであり、私など子供の時から出来たが、子供だからやりやすかったという面もある。
だが、やり方は簡単だ。
それは「無意識に入ろう」と思うだけである。
具体的には、釈迦やイエスや、あるいは、クリシュナになったと思うと良い。
なるほど、子供の方がやり易いかもしれない。

AIアート827
「集会の日」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)私の声はあなたとともに: ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー
(2)ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻
(3)荘子(1)(中公クラシックス)
(4)バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)
それは、聖者や聖典の教えとも共通する。
それが何かというと、「現実から目をそらす」ということだ。
引き寄せにおいては、この「現実」は「悪い現実」を指す。
つまり、うまくいっていないことから目をそらすということで、具体的には、支払いが困難な請求書とか、恋愛では、好きな人が他の人と仲良くしている状況から目をそらすということだ。
もちろん、一般的な観念でいえば、それは逃避だし、請求書から目をそらしちゃ駄目である(笑)。
もっと極端なことで言えば、家族が誘拐されたのに、それから目をそらすなどあり得ない。
聖者や聖典においては、目をそらすべき現実とは、悪い現実だけではなく、良い現実も含め、あらゆる現実である。
インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』には、「亀が手足を甲羅の中に引っ込めるように、感覚器官を外界から引っ込めろ」つまり、世界を見るなと書かれている。
もちろん、賢い人ならすぐに分かるように、いずれも(引き寄せも聖典も)、「外部の状況に囚われるな」という意味である。
もっと具体的には、『荘子』の中で何度も主張されていると思うが、
「いっさいをあるがままに見、思慮分別、是非好悪を起こしてはならない」
ということだ。
さらに明確に言うなら、思考も感情も起こすなという意味である。
それが出来れば、現実の問題もなかったことになるのだが、それがなかなか納得されない。
現実の問題を見て思考や感情を起こさなければ、問題が消えるとは思えないからだ。
だがそれは、問題を見ても思考や感情を起こさなかった者の言い分ではない。
我々凡人だって、困難な状況にある時、「冷静になれ」と言うし、「リラックスしろ」「肩の力を抜け」「焦っても仕方がない」と言い、対策としては「深呼吸をしろ」と言う。
それをもっと推し進めろということだ。
ミルトン・エリクソンという「魔法を使って治している」とまで言われた優れた精神科医がいた。
彼よりもっと有名な精神科医であるフロイトやユングよりも優秀だったと思う。
特にフロイトは、患者には感謝されたそうだが、実際は治せたことはほとんどなかったらしい。
精神の病気とは難しいものだ。
しかし、エリクソンは「魔法のように」治した。
そのエリクソンの治療方法は、患者を無意識に導くことだった。
ただ、明確にしておかないといけないのは、無意識に導く、あるいは、無意識に入れると言っても、眠らせたり失神させることではなく、「意識があるまま無意識に入れる」ということだ。
トランスという変性意識状態と言って良いかもしれない。
エリクソンは自分が無意識に入ることを自在に出来た。だからこそ、患者・・・他人を無意識に入れることが出来たのだろう。
エリクソンは、仕事の山を前にして無意識に入るという。
すると、自分では憶えていないが、気が付いたら仕事は片付いているという。
これが本当の、「問題から目をそらす」ということで、引き寄せや、あるいは、聖典は、このようなことをちゃんと説明しないので学習者は戸惑うのだ。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、登場する調査団の隊員達が仕事を前に無意識に入ると、白紙の紙に文字が勝手に浮かんで仕事が自動的に終わっていく様子が描かれている。
「そんな馬鹿な」と思うだろうが、信じるかどうかはそれぞれの勝手だ。
私は何度も書いたが、子供の時、無意識に入ることで車道の車を消したり、公共の電波で好きなものを放送させることが出来た。
これは体験なのだから仕方がない。
無意識に入る方法なんて、本が何十冊何百冊とあり、良い本も多い。
だが、大切なことは、自分で即座にやれることであり、私など子供の時から出来たが、子供だからやりやすかったという面もある。
だが、やり方は簡単だ。
それは「無意識に入ろう」と思うだけである。
具体的には、釈迦やイエスや、あるいは、クリシュナになったと思うと良い。
なるほど、子供の方がやり易いかもしれない。

AIアート827
「集会の日」
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(1)私の声はあなたとともに: ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー
(2)ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻
(3)荘子(1)(中公クラシックス)
(4)バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)
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