人間は、心の支えが無くても生きていけるとは思うが、心の支えがない人は生きることが辛いし、何かあったら脆い。
心の支えとは、生き甲斐とか、まあ、三度の飯より好きなもの・・・といった感じだろうか?
これで思い出すのは、林悦道さんの『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』に書かれていた、海軍の船に乗っていた人の話だ。
海軍の船が敵国の魚雷を受けて沈没したら、生き延びるには木材に捕まって漂流し、運よく救助されるのを待つしかない。
しかし、ほとんどの者は、体力的な問題より、サメなどの海の恐怖で一晩もたずに死んでしまうらしい。
ところが、そんな目に何度も遭いながらしぶとく生き延びた男がいたが、彼は部類の酒好きで、「何としても陸に戻って酒を飲むんだ」と思うことで気力を保って生き抜いたそうだ。
学校では、念仏について、貧困と圧政に苦しむ庶民が、念仏を唱えれば死後に極楽浄土に行けることを心の支えにしたように教わったが、私はあまり信じなかった。死後の幸福が心の支えになるとは思えないからだ。
実際、親鸞は『現世利益和讃』という15の歌を作り、念仏があらゆる現世地益を引き寄せることを訴え、そっちの方が念仏を流行らせたのではないかと思う。
親鸞の師の法然は、もっぱら、念仏は極楽往生のためのものとして、そんな親鸞を怒ったのだが、実のところ、法然だって『選択本願念仏集』で、念仏を唱えることで、現世で仏の手厚い加護が得られると書いている。
それで、実際、念仏を唱えることで、仏の恵みのようなことが得られた話は多いのだが、これは別に、念仏に特殊な力があるのではなく、念仏を唱えることで頭の中の余計な思考を消すことで、人間が本来持っている力を発揮したに過ぎないと私は思う。
だから、唱えるのは何でも良く、大切なことはただ、数多く唱えることだけだ。
念仏なり、その他の呪文、マントラを、数多く唱えなくても、一度唱えることでビシっと心をクリアにする・・・つまり、思考を消せる人なら、一度で効果があり、私も子供の時「ナムサン(南無三)」と唱えることで、即座に無になり、いろいろな奇跡を起こしたものだが、これは素質のようなものが必要で、私も今は難しい。
それで、特に大人の場合は、何かの言葉を絶え間なく繰り返したり、あるいは、何かの動作をそこそこ真剣に延々と繰り返せば、思考が消え、引き寄せの力と言って良い、普通の人には神秘な力が発揮される。
唱える言葉は、心の支えに関連付いたものが唱え易い。
念仏が心の支えになるのは、やはり、親鸞が言うように(実は法然も言ったように)、現世の恵みがあると信じられる場合がほとんどと思う。しかし、現代では、念仏でそう思うのは難しいかもしれない。
さりとて、露骨に欲望を表現する言葉や、下品な言葉は選ばない方が良い。
心が乱れ、心が揺れ、結局、思考が消えないからだ。
人間は、意識を持ったまま思考が消えることで隠し持った力(潜在能力。潜在意識の力)を発揮するのである。
それで、「神様の奇跡が起こる」といった、精神性と願望のバランスを取った言葉が良く、馴染む人にとっては、この言葉が心の支えになり、実際に奇跡も起こり易い。
スピリチュアル界隈の有名人がよく「ありがとう」という言葉を薦める。しかし、私には「ありがとう」という言葉は抵抗が出まくりだが、それは脳科学的に自然なのだそうだ。
脳というのは、何か良いことがあった後で感謝するのであり、いきなりは感謝出来ない仕様になっているのだそうだ。
それで、志賀一雅博士は「よかった・ありがとう」呼吸を作ったのだが、まずは「よかった」と思わないとうまくいかないらしい。
尚、私も「ありがたい」なら抵抗はない。
「ありがたい」は「ありがとう」とは異なり、感謝すべきものを見つけたり、あるいは、感謝すべきことを想定し易いのである。
偉い人が勧める言葉には注意した方が良い。
あくまで、自分が唱え易い言葉を自分で選ばないといけない。
教祖的な有名人の信者がうまくいかない原因は、それをせず、「これを唱えよ」と言われた言葉を採用するからである。
私のお奨めは「お金がある」だが、まあ、自分の好きなものを選んでいただきたい。
尚、「お金がある」は、単に「ある」と言っているだけであり、別に欲深い言葉ではない。

AIアート821
「神の愛娘」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル(林悦道)
(2)三帖和讃(現代語版)(親鸞)
(3)選択本願念仏集(法然)
(4)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(5)いのちの教え: 黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方
心の支えとは、生き甲斐とか、まあ、三度の飯より好きなもの・・・といった感じだろうか?
これで思い出すのは、林悦道さんの『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』に書かれていた、海軍の船に乗っていた人の話だ。
海軍の船が敵国の魚雷を受けて沈没したら、生き延びるには木材に捕まって漂流し、運よく救助されるのを待つしかない。
しかし、ほとんどの者は、体力的な問題より、サメなどの海の恐怖で一晩もたずに死んでしまうらしい。
ところが、そんな目に何度も遭いながらしぶとく生き延びた男がいたが、彼は部類の酒好きで、「何としても陸に戻って酒を飲むんだ」と思うことで気力を保って生き抜いたそうだ。
学校では、念仏について、貧困と圧政に苦しむ庶民が、念仏を唱えれば死後に極楽浄土に行けることを心の支えにしたように教わったが、私はあまり信じなかった。死後の幸福が心の支えになるとは思えないからだ。
実際、親鸞は『現世利益和讃』という15の歌を作り、念仏があらゆる現世地益を引き寄せることを訴え、そっちの方が念仏を流行らせたのではないかと思う。
親鸞の師の法然は、もっぱら、念仏は極楽往生のためのものとして、そんな親鸞を怒ったのだが、実のところ、法然だって『選択本願念仏集』で、念仏を唱えることで、現世で仏の手厚い加護が得られると書いている。
それで、実際、念仏を唱えることで、仏の恵みのようなことが得られた話は多いのだが、これは別に、念仏に特殊な力があるのではなく、念仏を唱えることで頭の中の余計な思考を消すことで、人間が本来持っている力を発揮したに過ぎないと私は思う。
だから、唱えるのは何でも良く、大切なことはただ、数多く唱えることだけだ。
念仏なり、その他の呪文、マントラを、数多く唱えなくても、一度唱えることでビシっと心をクリアにする・・・つまり、思考を消せる人なら、一度で効果があり、私も子供の時「ナムサン(南無三)」と唱えることで、即座に無になり、いろいろな奇跡を起こしたものだが、これは素質のようなものが必要で、私も今は難しい。
それで、特に大人の場合は、何かの言葉を絶え間なく繰り返したり、あるいは、何かの動作をそこそこ真剣に延々と繰り返せば、思考が消え、引き寄せの力と言って良い、普通の人には神秘な力が発揮される。
唱える言葉は、心の支えに関連付いたものが唱え易い。
念仏が心の支えになるのは、やはり、親鸞が言うように(実は法然も言ったように)、現世の恵みがあると信じられる場合がほとんどと思う。しかし、現代では、念仏でそう思うのは難しいかもしれない。
さりとて、露骨に欲望を表現する言葉や、下品な言葉は選ばない方が良い。
心が乱れ、心が揺れ、結局、思考が消えないからだ。
人間は、意識を持ったまま思考が消えることで隠し持った力(潜在能力。潜在意識の力)を発揮するのである。
それで、「神様の奇跡が起こる」といった、精神性と願望のバランスを取った言葉が良く、馴染む人にとっては、この言葉が心の支えになり、実際に奇跡も起こり易い。
スピリチュアル界隈の有名人がよく「ありがとう」という言葉を薦める。しかし、私には「ありがとう」という言葉は抵抗が出まくりだが、それは脳科学的に自然なのだそうだ。
脳というのは、何か良いことがあった後で感謝するのであり、いきなりは感謝出来ない仕様になっているのだそうだ。
それで、志賀一雅博士は「よかった・ありがとう」呼吸を作ったのだが、まずは「よかった」と思わないとうまくいかないらしい。
尚、私も「ありがたい」なら抵抗はない。
「ありがたい」は「ありがとう」とは異なり、感謝すべきものを見つけたり、あるいは、感謝すべきことを想定し易いのである。
偉い人が勧める言葉には注意した方が良い。
あくまで、自分が唱え易い言葉を自分で選ばないといけない。
教祖的な有名人の信者がうまくいかない原因は、それをせず、「これを唱えよ」と言われた言葉を採用するからである。
私のお奨めは「お金がある」だが、まあ、自分の好きなものを選んでいただきたい。
尚、「お金がある」は、単に「ある」と言っているだけであり、別に欲深い言葉ではない。

AIアート821
「神の愛娘」
Kay
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(1)誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル(林悦道)
(2)三帖和讃(現代語版)(親鸞)
(3)選択本願念仏集(法然)
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(5)いのちの教え: 黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方
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斎◯◯人氏や◯林正◯氏の「ありがとうございます」は、アファメーションにするには抵抗があったのですが(現に小◯◯観氏の健康には効果がなかった)、
黒住宗忠氏が説いた【ありがたや~】だとシックリ来て、アファメーションとして取り入れさせて頂いてます。
(信者というワケではありませんが💦)
KEY 様が言われますように、
「ありがとうございます」
は、
THANK YOU
で、
【ありがたや~】
は、
幸せ
「HAPPY」
な状態にあることに気づかせてくれます。
もちろん人それぞれ感じ方は様々でしょうが、
上記二人の講演CDを聞かされた時、間違ったことを言ってないのに、意味もなく妙に抵抗を感じたのは、
何も考えず、講師の話に感銘して拍手してる会場の客が気持ち悪いだけではなかったんだと、今回のお話でハッキリ気づけました。
ありがとうございます🙏✨