眠っている時の夢の中で、「これが夢だ」と気付いている夢を明晰夢と言うのだが、夢に気付いている度合いというのもあるのだと思う。
私は最近、「これは夢である」という完全な自覚があった明晰夢を見た。
私は、「これは興味深い。是非実験をせねば」と思った。
私は、極めて質素な木造りの部屋の中にいて、床も壁も天井も濃い茶色の木材で、それらは艶があり、塗料が塗られているのかなと思った。
窓はガラスではなく、雨戸のような木の板で閉じられていた。
それを開くと何を見ることが出来るのかとワクワクした。
それで、早速、その窓の板をスライドさせて開けたが、それは、簡易的に描かれた油絵のようで、やや濃淡はありながら、ただ水色に塗られた空と、その下に、とても曖昧に描かれた町があった。
だが、見ていると、空は現実的な空の様子に近付き、町も具体的な町になっていく。
私は、「夢の中では左脳は働いていないので、論理的思考は出来ないと思うが、今もそうなのだろうか?」と思った。
しかし、そう考えている時点で、ある程度は論理的に考えているのだと思った。
そうこうしているうちに、空も遠くの風景も完成し、すぐ近くは茶色の地面が広がっていた。
私がそれらの創造主なのかもしれないが、あまりそんな感じはしない。
では、目の前の地面でサイコキネシス(念動力)の実験をしようと思ったが、土ばかりで動かせるものがない。
では土でも動かせば良さそうなものだが、それでは面白くないと言うよりも、やはり絵に描かれたような地面なので、動かせそうな感じがしなかった。
私は、「石ころよあれ」と思ったわけではないが、ちょっと「石があったらいいな」と思ったら、大きさは不明だが、あまり大きくない黒い石がいくつか現れた。
やはり、どうも私は創造者っぽくない。
だが、「あったらいいな」と思ったら現れたのは悪くない。
では、早速、石ころをサイコキネシスで動かそうとしたが、さっぱり動かない(笑)。
Tell Me Why?(なぜなんだー)である。
やはり、全く動きのない絵を動かすのは難しいのだろう。
多少は動きがあった方が良い・・・と思ったのかもしれないが、地面の上で十人ほどの人間(若い男達)が現れ、ホッケーのようなことを始めたが、無秩序な動きで、棒でボールの代わりに石ころを叩いていたが、その石ころがボールに変わった。
私は不意に思いついて、そのボールを指差し、指をいろいろな方向に動かすと、ボールがその方向に動き、ホッケー選手(?)が慌てているようだった。
アニメでも映画でも、超常現象を起こす時は、圧倒的に指差しをする場合が多いが、なるほど、それが人間の本能のようなものなのだろうと思った。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『洗礼のヨハネ』の絵だって、ヨハネは天を指差しているし、他にも、突出した人物が指差しをしている名画は沢山ある。
禅語の中にも、倶胝(ぐてい)という僧は、何を聞かれても指を1本立てるだけだというし、彼は往生の際は、「私は師の天竜から教わった一本指の禅を一生で使い切れなかった」と言ったことになっている。
アニメ『灼眼のシャナ』で、「祭礼の蛇」坂井悠二は、異世界ザナドゥとの扉を開ける際、天空を指差した。
やはり、人間は、意識を向ける際、指を差す方がやり易いのだろう。
武道では、人差し指は「師匠預けの指」と言われて、使ってはならないことになっている。
この「師匠」とは、私の解釈では、魂、真の自己、真我だ。
人差し指は、物質世界と高次元世界をつなぐ鍵で、意思を向けるものである。
よって、皆さんも、超能力とか引き寄せの力を使う際、人差し指を伸ばし、それに意思を向ければ思うようになるだろう。
AIアート817
「夢の乙女」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)現代語訳 無門関 禅問答四十八章 (角川ソフィア文庫)
(2)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(5)夢 [DVD](黒澤明監督作品)
私は最近、「これは夢である」という完全な自覚があった明晰夢を見た。
私は、「これは興味深い。是非実験をせねば」と思った。
私は、極めて質素な木造りの部屋の中にいて、床も壁も天井も濃い茶色の木材で、それらは艶があり、塗料が塗られているのかなと思った。
窓はガラスではなく、雨戸のような木の板で閉じられていた。
それを開くと何を見ることが出来るのかとワクワクした。
それで、早速、その窓の板をスライドさせて開けたが、それは、簡易的に描かれた油絵のようで、やや濃淡はありながら、ただ水色に塗られた空と、その下に、とても曖昧に描かれた町があった。
だが、見ていると、空は現実的な空の様子に近付き、町も具体的な町になっていく。
私は、「夢の中では左脳は働いていないので、論理的思考は出来ないと思うが、今もそうなのだろうか?」と思った。
しかし、そう考えている時点で、ある程度は論理的に考えているのだと思った。
そうこうしているうちに、空も遠くの風景も完成し、すぐ近くは茶色の地面が広がっていた。
私がそれらの創造主なのかもしれないが、あまりそんな感じはしない。
では、目の前の地面でサイコキネシス(念動力)の実験をしようと思ったが、土ばかりで動かせるものがない。
では土でも動かせば良さそうなものだが、それでは面白くないと言うよりも、やはり絵に描かれたような地面なので、動かせそうな感じがしなかった。
私は、「石ころよあれ」と思ったわけではないが、ちょっと「石があったらいいな」と思ったら、大きさは不明だが、あまり大きくない黒い石がいくつか現れた。
やはり、どうも私は創造者っぽくない。
だが、「あったらいいな」と思ったら現れたのは悪くない。
では、早速、石ころをサイコキネシスで動かそうとしたが、さっぱり動かない(笑)。
Tell Me Why?(なぜなんだー)である。
やはり、全く動きのない絵を動かすのは難しいのだろう。
多少は動きがあった方が良い・・・と思ったのかもしれないが、地面の上で十人ほどの人間(若い男達)が現れ、ホッケーのようなことを始めたが、無秩序な動きで、棒でボールの代わりに石ころを叩いていたが、その石ころがボールに変わった。
私は不意に思いついて、そのボールを指差し、指をいろいろな方向に動かすと、ボールがその方向に動き、ホッケー選手(?)が慌てているようだった。
アニメでも映画でも、超常現象を起こす時は、圧倒的に指差しをする場合が多いが、なるほど、それが人間の本能のようなものなのだろうと思った。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『洗礼のヨハネ』の絵だって、ヨハネは天を指差しているし、他にも、突出した人物が指差しをしている名画は沢山ある。
禅語の中にも、倶胝(ぐてい)という僧は、何を聞かれても指を1本立てるだけだというし、彼は往生の際は、「私は師の天竜から教わった一本指の禅を一生で使い切れなかった」と言ったことになっている。
アニメ『灼眼のシャナ』で、「祭礼の蛇」坂井悠二は、異世界ザナドゥとの扉を開ける際、天空を指差した。
やはり、人間は、意識を向ける際、指を差す方がやり易いのだろう。
武道では、人差し指は「師匠預けの指」と言われて、使ってはならないことになっている。
この「師匠」とは、私の解釈では、魂、真の自己、真我だ。
人差し指は、物質世界と高次元世界をつなぐ鍵で、意思を向けるものである。
よって、皆さんも、超能力とか引き寄せの力を使う際、人差し指を伸ばし、それに意思を向ければ思うようになるだろう。
AIアート817
「夢の乙女」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)現代語訳 無門関 禅問答四十八章 (角川ソフィア文庫)
(2)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(5)夢 [DVD](黒澤明監督作品)
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フレッド・アラン・ウルフ博士もよく言及なさいますが、
私は個人的に明晰夢だけは経験できていません。
(夢をコントロールできた例が未だにゼロ。)
悲劇映画まがいの悪夢なら、
「見させられる」感じでよく見ますよ。
敗戦直後の貧しい日本とか、
他人の負債を私がヤクザへ弁済させられるとか。
(マジで見たくねえのに、コントロールもできねえの。)
で、モノクロだったり色調が薄い感覚だけは分かる。
「起きたらまず深呼吸と真言」で応急対処しています。
脳内に「誰かの古い記憶」でも投影されてるのかな。
私が実際に経験したことでもないストーリーなのに。
うーむ。