最近私は、『陰の実力者になりたくて!』(2022~2023)というアニメの第1話を見て非常に感激した。
このアニメ、実は私は、昨年(2023年)だったか、20話近くまで観て、観るのをやめていた。個人的感想だが、最初の方は面白かったが、だんだん面白くなくなったと思ったからだ。そんなアニメは多いと思う。
ところが、第1話を気まぐれにだが久々に見ると、非常に良いところがあった。
高校生男子である影野実は、勉強も運動も中の下(の成績)、顔も普通であるなど、あらゆることにおいて凡人で目立たないキャラだ。このような人物を、今は俗にモブキャラクター(略してモブキャラ、モブ。その他大勢といった意味)と言う。
だが、学年一の美少女を前にしても全く平静で、彼女の名前を憶え間違えているところに興味を惹かれる。
つまり、只者ではない。
そして、いつもクラスの中で、目立たずぼーっとしていたが、そんな中、ひっそりと、ハンドグリッパー(握力強化トレーニング器具。ハンドグリップと呼ぶ場合が多い)で運動している。そのカウント数は2万を超えていた。
私はこれにシビれた。
運動と言えば、かつては、筋力を鍛えるためには数回からせいぜい十数回繰り返すことが出来る負荷の強い運動、筋持久力を鍛えるためには20回程度繰り返すことが出来る運動を行うことが常識だったが、現代のスポーツ科学では弱い負荷の数多い繰り返し運動が筋力や筋持久力も高めることが確認されている。そして、強い負荷の運動より弱い負荷の運動の方が優れた点が多いことは、実は昔から優れたアスリートやトレーナーらは、よく知っていたと思う。
それはともなく、私には、この影野実のように、黙々と地味な鍛錬を繰り返す姿が実に好ましく思えるのだ。

大東流合気柔術の達人、佐川幸義は「私は特訓なんかしない」と言っていたそうだが、これは素晴らしい言葉と思う。
つまり、スポコンもの(スポーツを題材にした漫画・アニメ・映画等)のように、激しいトレーニングを根性を持って比較的短時間行うのではなく、楽な運動を長時間行うのである。
特に佐川の佐川流四股は一部でよく知られていて、佐川は千回単位で毎日数千回行っていたらしいが、これは四股と言っても相撲の四股とは違い、ほとんど足踏みである。
佐川は、この四股について「僕は四股を踏みながら死ぬことが出来る」とか「僕なら寝ないで四股を踏んで成果を出す」と言ったという話がある。

言い換えれば、時間をかけることが尊いのである。何事も。
だが、現代では短時間で得ることを有り難がり、「1日1分で」とか「10日でマスター」といったものが人気があり、「コスパが高い」という言い方が好まれる。
こういった風潮に対し、コンピューター科学者でAI研究者として有名なピーター・ノーヴィグもブログで苦言を呈している。
彼は、プログラミングの学習に対し、やはり「一週間でマスター」みたいな本が巷に溢れていることを嘆き、本当にプログラミングをマスターするには10年かかると述べる。
だいたい、「コスパ」なんて言葉を多用する者にロクなやつはいないではないか(笑)。

精神的な力(引き寄せもだが)も、淡々とした地味な鍛錬を必要とする。ただし、「特訓など必要ない」。
シンプルな呼吸法を行ったり(あるいは単に呼吸を意識したり)、マントラを唱えたり、腹に力を入れたりなど、自分に合ったものを、起きている間ずっとやる心構えでやるのが理想である。
個人的に最も優れていると思う修行の1つが、ニサルガダッタ・マハラジやネヴィル・ゴダードが勧める「存在の自覚を感じる」ことである。
実際は、長時間やりさえすれば、やることは何でも良いようにすら思う。
たとえば、「神様の奇跡が起こる」とか「お金がある」と唱えたりである。
ラマナ・マハルシは、起きている間ずっと「私」と自分に呼びかけるよう勧めたことがあるらしいが、これも無期限にやるつもりでやることに意味があると思う。
私も、佐川流四股や存在の自覚の感知、あるいは深呼吸などを行っているが、行う時間がまだまだ足りないようである。

待つ
AIアート815
「待つ」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)陰の実力者になりたくて!(Amazon Prime Video)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(3)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(4)佐川幸義 神業の合気 ※佐川流四股の解説あり
(5)四股鍛錬で作る達人 ※佐川流四股の解説あり
(6)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌] ※佐川流四股の解説あり
  
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