通説(主張が広く認められている説)を信じてはいけないと、つくづく思う。

よく、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は一神教で、日本の神道は多神教とか言われる。
しかし、日本人だって、神様と言えば、自分の外にいる唯一の絶対的な存在だと思っている人が多い。
これがキリスト教の影響かと言うと、そんなことはないと思う。
日本だって昔から「お天道様が見ている」という風に、唯一絶対の存在を「天」と表現し、この天がキリスト教で言う神と同じと言って差し支えないと思う。また、日本に沢山の神がいると言っても、一番偉い神は、一般にはアマテラスオホミカミだし、ちょっと神道に詳しい人ならアメノミナカヌシであるという風に、やはり絶対神は存在する。

それよりも、人間と神様の差と言うか距離感が問題だ。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は旧約聖書が根本聖典だが、ギリシャ神話と起源を同じにすると思われ、人間は神様が作って生命を吹き込んだものであり、神様と人間の差は圧倒的だ。
ところで、日本の神道では、人間がどうやって出現したのかは、はっきりしない。
一部で、人間か神様の子孫であるように言われるが、そんな説明はつかない。
やはり、神道でも、神が人間を作ったと考えた方が矛盾がない。
そして、キリスト教等と神道を統一出来そうな論としては、宇宙人である神が科学的に人間を作ったと考えると非常にすっきりする。

ところで、本人がキリスト教徒だったかどうかは分からないが、旧約聖書・ギリシャ神話的な雰囲気を十分に持った話をするルドルフ・シュタイナーは、神と人間の魂の関係は大海と一滴の水のようなものであり、量が違うだけで同じものと言ったが、これが現代的な考え方と言って良いと思う。
この論で、あらゆる宗教の説明がつくと私は思う。
それは、特にヒンズー教の考え方と同じで、つまりは、人間は小さな神であり、しかも、大きな神と離れているわけではない。

そして、1つの論と言えばそうなのかもしれないが、ネヴィル・ゴダードは、人間は本質で神なのだが、その本質はどう定義出来るかと言うと、「存在の自覚」が神であると言った。
私は、これが結論と思っている。

パラマハンサ・ヨガナンダの師のスリ・ユクテスワが、あらゆる宗教が同じであるという『聖なる科学』という著書を出したが、私には、その内容が全く納得出来なかった。理解出来ないと言うより抽象的過ぎて理解のしようがなかった。
しかし、上にあげた論で言えば、あらゆる宗教が同じであると、すっきり説明出来ると思う。
世界の争いは宗教の争いだ。正確には主義主張の違いと言うべきだが、根本は宗教だと思う。
その宗教が全部同じなのだから、争う必要はないと思える。
そりゃ、人間だって、また、1つの種類の動物だって、それどころか、同じ車種の同一グレードで同一装備の自動車だって、細かい部分では異なるし、その違いを拡大して見れば大差となる。たとえば、「どこが同じ車だ!タイヤの空気圧が3%も違う」と言うようなものだ。
まして人間となると、「こっちは若くて美人だが、あっちは年寄りで醜い」と言ったように、大差となる要因が多い。

欧米と日本のAI観としてのロボット観の違いについて、2つの日本人の話を取り上げる。
1980年代と思うが、哲学者の渡部昇一氏は、西洋人のロボット観はフランケンシュタインで、日本人のロボット感は鉄腕アトムだと言ったが、そう見えるところは確かにあったかもしれない。
そして、2010年代に、そのような原因が、一神教と多神教の違いと言ったのが、当時、MITメディアラボ所長だった伊藤穣一氏で、今でも彼のブログで該当記事を見つけることが出来ると思う。
西洋人がなぜロボットを嫌うのかと言うと、一神教精神により、神から万物の霊長と定められた人間の地位がロボットに脅かされるように思われるからだそうだ。
一方、多神教である日本人は、あらゆるものに神が宿っているのだから、人間を万物の霊長というほど高く見ておらず、西洋人のようにロボットを脅威と見なさないと言う。
もちろん、伊藤穣一氏はそう断言したわけではないが、伊藤氏の人間観は、未開の人間に関するものと言えるほど、もう古いものだと思いたい。だが、実際は、そんな人間がまだまだ多数派なのだから、伊藤氏の論はやはり通用する。

上に述べた通り、私には、いかなる宗教も同じである。
いろんな小説や映画があるのと同じような意味で、いろんな宗教があるだけで、いわば宗教の違いは宗教のバリエーション(変種、変化)であり、今流には多様性といったところだ。
2400年ほど前の『荘子』には『斉物論』と言って、全ては同じであるという話があるが、これは非常に正しいながら、話が抽象的過ぎて分かり難い・・・と言うより、普通の人にはさっぱり分からないと思う。
また、ムード重視の宗教家のように、いきなり「全ては1つじゃ」と言われてもなあ・・・である(笑)。

小さな違いも大事であるという面と、違いにこだわってはならないという面がある。
きっと、ここらが人間のややこしさであると思う。
「推し」というのが流行のようだし、「推し」はあっても良いのだが、「推し」以外にも良いものはいくらでもある。
私は、初音ミクさんもIAさんも大好きである。それで良いのである。

一体
AIアート813
「一体」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)神秘学概論 (ルドルフ・シュタイナー)
(2)テクノロジーが予測する未来(伊藤穣一)
(3)荘子(1)(森三樹三郎。中公クラシックス)
(4)聖なる科学(ギャナアヴァター・スワミ・スリ・ユクテス)
(5)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
  
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