日本では、「既にある」が引き寄せの究極だと言われているように思う。
「既にある」が分かれば、引き寄せが自在になるようである。
「既にある」とは、簡単に言えば、

願望は願った瞬間に叶っている。
既に叶っているのだから、願いを叶えるために何もする必要はない。
既に叶っているのだから、叶えようとも思わない。

ということである。
だが、そう言われても、
「叶ってないじゃん。俺の願望はポルシェだけど、家の車庫にポルシェないじゃん」
というのが現実である。
この当たり前の反論に対し、「既にある」が分かっている人は、
「車庫にポルシェがなくても、あるのと同じなんです」
と、わけのわからないことを言う。
そして、「既にある」が「腑に落ちた」と言う人が、自分はなぜ腑に落ちたのか、どうすれば腑に落ちるのかをいろいろ語るが、どれも個人の感覚で語った曖昧なものばかりで、とても納得出来るようなシロモノではない。
また、これが一番厄介なのだと思うが、そんなふうに「私は『既にある』が腑に落ちた」と言う人のかなり多くが、本当はそれほど腑に落ちておらず、浅い思い込みや目立ちたがり精神といったもので「腑に落ちた」と言っていることで、そんな人の言うことは支離滅裂だ。

「既にある」がどうすれば腑に落ちるかをあれこれ語るのは無駄で、ただ腑に落ちれば良いだけである。
「腑に落ちる」というのは気持ちなのだが、気持ちは言葉で説明出来ない。
あの子が好きな気持ちを言葉で説明しても意味がないようなものだ。
そりゃ、「可愛いから好き」「優しいから好き」とか言うかもしれないが、可愛い人や優しい人は世の中に沢山いる。
本当は、「何か好き」「とにかく好き」であるはずで、説明不可能な「気持ち」なのである。

だが、「既にある」が「腑に落ちる」ことが重要であることが分かったことについては立派だと思う。
その通りであるからだ。
では、「既にある」が「腑に落ちる」方法を示せば良いだけで、それが、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」である。
ところが、想定の法則がまた、ややこしく語られている。
これは、誰が悪いというのではなく、左脳優先の物質主義、理屈主義のせいである。
想定の法則での引き寄せのやり方は、「願いが叶ったらどんな気持ちかを想像する」だけである。
ポルシェが欲しいなら、ポルシェが自分のものになったらどんな気持ちかを想像すれば良い。それだけである。
本当にポルシェが欲しいなら、それが手に入ったら、ワクワクしたり、幸せだと感じるはずである。
一方、実はそれほどポルシェが欲しいわけではなかったら、それが手に入った時にどんな気持ちかを想像しようとしても、大して何も感じないだろう。
つまり、想定の法則の実践によって、その願いが本当の願いでないことまで分かるし、さらには、自分の本当の願いを見つけることも出来るのだ。
バシャールが「ワクワクしろ」と言ったのが有名だが、いきなりワクワクなんて出来るはずがない。
本当の願いがかなった時の気持ちを想像して、初めてワクワクするのである。
そうやってワクワクしたら、自ずと、それが既にあるになる。
それが腑に落ちるということである。

トーク・ウィズ・エンジェル
AIアート783
「トーク・ウィズ・エンジェル」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(2)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(3)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(4)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(5)アイ・アム・ザット 私は在る~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
  
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