神とは何かというと、ネヴィル・ゴダードによれば、「私は在る」という自覚であるらしい。
その根拠は、旧約聖書で、神がモーセに、「私は『私は在る』という者だ」と言ったことによるのだが、ゴダードは、旧訳聖書をヘブライ語(へブル語)の原典で読めたらしい。
自分でヘブライ語で読めたのではないかもしれないが、ウィリアム・アーネスト・バトラーは、言語学者の様々な解釈を研究した上で、 「私は『私は在る』という者だ」の解釈に疑問を唱えているが、こういうことは疑問がなければむしろ信じることは出来ない。
そして、異なる解釈も、結局は 「私は『私は在る』という者だ」という意味になることが分かれば、信憑性が高まる。
神とは絶対的真理だという方向から探求することも出来る。
これに関しては、ニサルガダッタ・マハラジが、「あなたが確信出来る唯一のことは『私は在る』だけである」と言ったが、では、眠っていて夢を見ていない時は「私は在る」と感じないのだから、私はないのかという疑問が生まれる。
これに関しては、古来から「夢のない眠りにこそ、本当の『私は在る』がある」と言われているが、当然ながら科学的根拠はない。
つまるところ、全て聖典頼みということになる。
ただ、古代仏教の教典を研究した者が、これに究極の真理が書かれていると信じざるを得ないと言うことがあるが、それはどういうことかというと、人間の知を超えた真理が書かれていることを、直観的に感じたり、ある程度は類推したり、帰納的(個々の特殊な事実から普遍的原理を導くこと)に考えたということだろう。
だが、私は、ゴダードが説く教えは、私の子供の時からの経験とかなり一致するという特殊な事情があって、かなり信じている。
また、私が初めてビートルズを聴いた時、英語は得意ではない私が極めて印象的に憶えていた歌詞が"AT YOUR COMMAND"だが、ゴダードが初めて書いた本のタイトルがまさに"AT YOUR COMMAND"だったということも面白い。
そしてもう1つ。
私は上に書かれてあるようなことを知る前に神の存在を理解し、理解した時はかなり高揚したものである。
それはデカルトの『方法序説』によるもので、これ(方法序説、あるいは、デカルトの思想)には欠陥があることは分かっているが、それでも価値がある。
デカルトは究極の真理を探究していたが、それは当然ながら、なかなか見つからなかった。
どれほど正しいと思えることも、疑おうと思えばあっさりと疑えた。疑えるからには真理ではない。
真理とは疑うことが出来ないからだ。
たとえば、母の愛が真理かというと、そんな馬鹿でも疑えることが真理であるはずがない。
だが、デカルトは気付いてしまった(笑)。
疑えるということは、自分の中に真理があるからだと。それが神である。
これを見て私は感動のあまり恍惚としてしまった。
それでデカルトは「疑っている私は確実に存在する」を究極の真理としたが、なぜそれが「われ思う、ゆえにわれあり」という不純なものになったかは不明だ(笑)。
ちなみに、本人は隠していたが、やはりというか、デカルトも魔法研究をしていた(笑)。
それはニュートンも同じであった。
というか、ニュートンは、メインの研究は聖書や魔法で、数学や物理学はついでにやっていたのである。
だから、魔法・・・これは旧約聖書から出ているものだが、それこそが真理なのである。
尚、デカルトの自己評価について述べておこう。
デカルトは、名門校の出身で、その学校の中でも優等であった自分が優秀であることは認めていた。
ただし、自分よりずっと上の者達がいることも分かっていた。実に聡明であると思う。
そして、さらに偉いのは、書物の学問は全て捨てたと宣言していることだ。
さっきも書いたが、デカルトにも欠点はあったが、これほどの人物はそうはいない。
デカルトは、究極の真理の柱を「疑う」と「在る」の2本としたが、「疑う」は、もっと洗練させて「気付き」とすればより完璧だった。
そうすれば、「私は在る」が神であるという古代の英知にたどり着けた。
そんなわけで、私にとっては「私は在る」が神であることは明瞭になった。
後は、「私は在る」の自覚から離れなければ神になるのだが、これは簡単であって難しい。
これに関しては宇宙人に聞いたことがある。
「適度にやれば超人になるが、やり過ぎるとこの世から消える」
なるほど、確かにいろんな賢者も同じことを言っていたと思う。
尚、正確に言うと、その宇宙人は、茶目っ気があったのかもしれないが、私に、存在の自覚を加速させるメソッドを教えてくれたのだ。
その上で「1日3回にしろ。それ以上やると消えるぞ」と言ったのだった。
まあ、それで結局、全くやらなくなるうちに、やり方を忘れてしまった。
いや、思い出せるが(笑)。
だが、そんなことは知らなくていいから、「私は在る」と感じることを、なるべく長くやることである。
それで十分に魔法使いに、超人に近付く。
AIアート775
「眼差し」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)方法序説 (角川ソフィア文庫)
(2)方法序説ほか (中公クラシックス)
(3)アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(5)ラマナ・マハルシの教え
(6)聖書(フェデリコ・バルバロ)
その根拠は、旧約聖書で、神がモーセに、「私は『私は在る』という者だ」と言ったことによるのだが、ゴダードは、旧訳聖書をヘブライ語(へブル語)の原典で読めたらしい。
自分でヘブライ語で読めたのではないかもしれないが、ウィリアム・アーネスト・バトラーは、言語学者の様々な解釈を研究した上で、 「私は『私は在る』という者だ」の解釈に疑問を唱えているが、こういうことは疑問がなければむしろ信じることは出来ない。
そして、異なる解釈も、結局は 「私は『私は在る』という者だ」という意味になることが分かれば、信憑性が高まる。
神とは絶対的真理だという方向から探求することも出来る。
これに関しては、ニサルガダッタ・マハラジが、「あなたが確信出来る唯一のことは『私は在る』だけである」と言ったが、では、眠っていて夢を見ていない時は「私は在る」と感じないのだから、私はないのかという疑問が生まれる。
これに関しては、古来から「夢のない眠りにこそ、本当の『私は在る』がある」と言われているが、当然ながら科学的根拠はない。
つまるところ、全て聖典頼みということになる。
ただ、古代仏教の教典を研究した者が、これに究極の真理が書かれていると信じざるを得ないと言うことがあるが、それはどういうことかというと、人間の知を超えた真理が書かれていることを、直観的に感じたり、ある程度は類推したり、帰納的(個々の特殊な事実から普遍的原理を導くこと)に考えたということだろう。
だが、私は、ゴダードが説く教えは、私の子供の時からの経験とかなり一致するという特殊な事情があって、かなり信じている。
また、私が初めてビートルズを聴いた時、英語は得意ではない私が極めて印象的に憶えていた歌詞が"AT YOUR COMMAND"だが、ゴダードが初めて書いた本のタイトルがまさに"AT YOUR COMMAND"だったということも面白い。
そしてもう1つ。
私は上に書かれてあるようなことを知る前に神の存在を理解し、理解した時はかなり高揚したものである。
それはデカルトの『方法序説』によるもので、これ(方法序説、あるいは、デカルトの思想)には欠陥があることは分かっているが、それでも価値がある。
デカルトは究極の真理を探究していたが、それは当然ながら、なかなか見つからなかった。
どれほど正しいと思えることも、疑おうと思えばあっさりと疑えた。疑えるからには真理ではない。
真理とは疑うことが出来ないからだ。
たとえば、母の愛が真理かというと、そんな馬鹿でも疑えることが真理であるはずがない。
だが、デカルトは気付いてしまった(笑)。
疑えるということは、自分の中に真理があるからだと。それが神である。
これを見て私は感動のあまり恍惚としてしまった。
それでデカルトは「疑っている私は確実に存在する」を究極の真理としたが、なぜそれが「われ思う、ゆえにわれあり」という不純なものになったかは不明だ(笑)。
ちなみに、本人は隠していたが、やはりというか、デカルトも魔法研究をしていた(笑)。
それはニュートンも同じであった。
というか、ニュートンは、メインの研究は聖書や魔法で、数学や物理学はついでにやっていたのである。
だから、魔法・・・これは旧約聖書から出ているものだが、それこそが真理なのである。
尚、デカルトの自己評価について述べておこう。
デカルトは、名門校の出身で、その学校の中でも優等であった自分が優秀であることは認めていた。
ただし、自分よりずっと上の者達がいることも分かっていた。実に聡明であると思う。
そして、さらに偉いのは、書物の学問は全て捨てたと宣言していることだ。
さっきも書いたが、デカルトにも欠点はあったが、これほどの人物はそうはいない。
デカルトは、究極の真理の柱を「疑う」と「在る」の2本としたが、「疑う」は、もっと洗練させて「気付き」とすればより完璧だった。
そうすれば、「私は在る」が神であるという古代の英知にたどり着けた。
そんなわけで、私にとっては「私は在る」が神であることは明瞭になった。
後は、「私は在る」の自覚から離れなければ神になるのだが、これは簡単であって難しい。
これに関しては宇宙人に聞いたことがある。
「適度にやれば超人になるが、やり過ぎるとこの世から消える」
なるほど、確かにいろんな賢者も同じことを言っていたと思う。
尚、正確に言うと、その宇宙人は、茶目っ気があったのかもしれないが、私に、存在の自覚を加速させるメソッドを教えてくれたのだ。
その上で「1日3回にしろ。それ以上やると消えるぞ」と言ったのだった。
まあ、それで結局、全くやらなくなるうちに、やり方を忘れてしまった。
いや、思い出せるが(笑)。
だが、そんなことは知らなくていいから、「私は在る」と感じることを、なるべく長くやることである。
それで十分に魔法使いに、超人に近付く。
AIアート775
「眼差し」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)方法序説 (角川ソフィア文庫)
(2)方法序説ほか (中公クラシックス)
(3)アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
(5)ラマナ・マハルシの教え
(6)聖書(フェデリコ・バルバロ)
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