今後の人間は、明確に2種類の人間に分かれると思う。
まだ当面は、「どちらの人間か」と言うよりは「どちらの傾向が強い人間か」という感じであるが、いずれにしても、2種類しかなくなる。
1つは、従来型の人間で、外界ばかり見ている者。
もう1つは、新しい人間で、外界から関心を引き上げ、内面に意識を向ける者だ。
別に、新しい人間は、部屋に閉じこもって、目を閉じて膝を抱えてじっとしているわけではない。実は、そんな人こそが、外界に最も関心を向けている。
新しい人は、普通に猫を撫でて可愛がるし、スイーツも食べるし、仕事もするし、コンサートにも行く。
それらを、情熱や責任感を持って、一生懸命やるかもしれない。
つまり、外界は外界で楽しみもするし、悲しみもする。
それは、喩えて言えば、映画を見ていることに少し似ている。
良い映画やアニメなら楽しむべきだが、自分は見ているだけで何もしていない。
それと同じで、たとえ偉大な仕事をしたとしても、自分は何もしていない。

外界から関心を引き上げるとどうなるか?
これは逆に、外界に関心を持つとどうなるかで説明する方が分かり易い。
これまで、1つのことにしか関心を持たなかった者が、別の1つのことに関心を持つと、脳が1つのパーティションで区切られ、これまで1つの領域だったのが、2つの領域が出来る。
さらに別のことに関心を持つと、また1つパーティションが増え、脳は3つの領域に分かれる。
脳の領域が分割されると、エネルギーも分割される。
丁度、国土が分割されることで、兵力や財力が分割されるようなものだ。
全体で兵士が1万人いるのに、百に分割されたら、百人の部隊単位でしか戦えない。
無自覚ながら、普通の人は外界の非常に多くのことに関心を持っているので、エネルギーがとても小さなものに分割されてしまっていて、わずかな力しか発揮出来ない。

だが、外界から関心を引き上げるごとに、脳のパーティションが消え、エネルギーは統合され、大きくなる。
そして、外界から全ての関心を引き上げ、たった1つの内面にのみ意識を向けると、エネルギーは無限大になり、不可能はなくなる。
たった1つの内面とは、真我(本当の自分)とか魂とか神とか、いろいろに言われるが、それはあえて言葉で言うなら、「存在の自覚」である。
ひたすら、「私は在る」ことを感じると、容易に外界に関心がなくなる。
なぜなら、外界のいかなるものより、「私は在る」の方が魅力的だからだ。
よって、「私は在る」と感じると、脳のパーティションは消えていき、使用出来るエネルギーが高まり、全知全能に近付いていく。

幽玄の湖
AIアート774
「幽玄の湖」
Kay


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