夢の中で、現実とは全く違うところに住んでいる場合がある・・・というより、現実と同じ場所に住んでいる方が珍しいかもしれない。
たとえば、現実ではいかにも庶民的な質素な家に住んでいる人が、夢の中で王様が住むような宮殿に住んでいるということがあるかもしれない。私は、子供の時、宮殿が出てくる映画を見た後で、同じような宮殿に住んでいる夢を見た覚えがある。
そんな場合、大抵は、「俺は何で宮殿なんかに住んでいるんだ?」と思うことはなく、それが当たり前だと思う。
そこで見られる、宮殿の部屋や家具などの調度品は全て、初めて見るものなのに、珍しがったりしない。
だが、そこで、「いや、これは初めて見るもののはずだ」と思って見たら何が起こるのかというと、夢の中ではそんなことを考えたりしない。
自分が小学生になって、小学校の教室にいたとしても、せいぜいが「ま、いっか」で納得する。
だが、現実で、自分が住んでいる自分の部屋を見ている時も同じなのだ。
そこで見るものは、全て、初めて見るものなのだ。
いつもの会社、いつもの学校にいるつもりでも、それは、初めて来た会社、初めて来た学校である。
まあ、たまーに、「あれ、俺、こんな会社に勤めてたっけ?」とか思うかもしれないが、「勤めているから勤めているんだろ」と納得してしまう。
私は幼い時、部屋のドアノブをぼーっと見ている時、違和感を感じ始めた。
そのままさらに見ていたら、どんどん、そのドアノブに現実味がなくなってきた。
そして、やがて、誰か、あるいは何かが、一瞬一瞬、そのドアノブを作っているのだと気付いた。
それに気付いた人は他にもいるらしく、コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』だったか『フランケンシュタインの城』だったかはっきりしないが、目の前の現実を、一瞬一瞬作っている存在を「内なる魔術師」みたいな言い方をしている人の話があった。
私の認識と極めて似ている。
このような表現こそしないが、量子力学もそのような考え方をするのだと思う。
要は、内なる魔術師に頼べば、どんな世界でも一瞬で作ってくれるのである。
その頼み方を知れば良いのであり、それが究極の引き寄せだ。
そして、至高体験の際に、内なる魔術師と交流するのである。
80歳が一瞬で17歳になるようなことはしないようで、それには何か理由があるのだと思うが、出来ないことではないと思う。
ひょっとしたら、ゲームのようなもので、あまりに急激に簡単に変わったら面白くないというだけのことかもしれない。
かもしれないだけで、本当のことは分からない。
しかし、どのようにでも変えられることだけは確かだと思う。
この方面に通じた人が、ものをぼーっと見ることをよく奨めている(足立幸子氏もそうだったと思う)。
なぜ、そんな見方をするのかというと、ここを誰も説明しないのだが、ぼーっと見ると、それを初めて見る時の見方になるからだ。
だが、「ぼーっと見る」というのも、案外に難しい。
だから、私は、薄目で見ろと言うのだ。薄目で見れば、自然にぼーっと見る。
そうしたら、見ているものの現実感がなくなり、至高体験に近付き、内なる魔術師と一体化してくる。
そうすぐには出来ないかもしれないが、基本はこうである。
今後は効果的なやり方のヒントを述べる。

AIアート714
「放心」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(4)あるがままに生きる(足立幸子)
(5)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(6)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)
たとえば、現実ではいかにも庶民的な質素な家に住んでいる人が、夢の中で王様が住むような宮殿に住んでいるということがあるかもしれない。私は、子供の時、宮殿が出てくる映画を見た後で、同じような宮殿に住んでいる夢を見た覚えがある。
そんな場合、大抵は、「俺は何で宮殿なんかに住んでいるんだ?」と思うことはなく、それが当たり前だと思う。
そこで見られる、宮殿の部屋や家具などの調度品は全て、初めて見るものなのに、珍しがったりしない。
だが、そこで、「いや、これは初めて見るもののはずだ」と思って見たら何が起こるのかというと、夢の中ではそんなことを考えたりしない。
自分が小学生になって、小学校の教室にいたとしても、せいぜいが「ま、いっか」で納得する。
だが、現実で、自分が住んでいる自分の部屋を見ている時も同じなのだ。
そこで見るものは、全て、初めて見るものなのだ。
いつもの会社、いつもの学校にいるつもりでも、それは、初めて来た会社、初めて来た学校である。
まあ、たまーに、「あれ、俺、こんな会社に勤めてたっけ?」とか思うかもしれないが、「勤めているから勤めているんだろ」と納得してしまう。
私は幼い時、部屋のドアノブをぼーっと見ている時、違和感を感じ始めた。
そのままさらに見ていたら、どんどん、そのドアノブに現実味がなくなってきた。
そして、やがて、誰か、あるいは何かが、一瞬一瞬、そのドアノブを作っているのだと気付いた。
それに気付いた人は他にもいるらしく、コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』だったか『フランケンシュタインの城』だったかはっきりしないが、目の前の現実を、一瞬一瞬作っている存在を「内なる魔術師」みたいな言い方をしている人の話があった。
私の認識と極めて似ている。
このような表現こそしないが、量子力学もそのような考え方をするのだと思う。
要は、内なる魔術師に頼べば、どんな世界でも一瞬で作ってくれるのである。
その頼み方を知れば良いのであり、それが究極の引き寄せだ。
そして、至高体験の際に、内なる魔術師と交流するのである。
80歳が一瞬で17歳になるようなことはしないようで、それには何か理由があるのだと思うが、出来ないことではないと思う。
ひょっとしたら、ゲームのようなもので、あまりに急激に簡単に変わったら面白くないというだけのことかもしれない。
かもしれないだけで、本当のことは分からない。
しかし、どのようにでも変えられることだけは確かだと思う。
この方面に通じた人が、ものをぼーっと見ることをよく奨めている(足立幸子氏もそうだったと思う)。
なぜ、そんな見方をするのかというと、ここを誰も説明しないのだが、ぼーっと見ると、それを初めて見る時の見方になるからだ。
だが、「ぼーっと見る」というのも、案外に難しい。
だから、私は、薄目で見ろと言うのだ。薄目で見れば、自然にぼーっと見る。
そうしたら、見ているものの現実感がなくなり、至高体験に近付き、内なる魔術師と一体化してくる。
そうすぐには出来ないかもしれないが、基本はこうである。
今後は効果的なやり方のヒントを述べる。

AIアート714
「放心」
Kay
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(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(4)あるがままに生きる(足立幸子)
(5)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(6)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)
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