至高体験とは、目覚めていながら完全な没我になることと言える。
常に至高体験にあれば、いわゆる悟りを開いた人ということになると思う。
だが、我々には、そこまで必要ない。自在に、10秒でも至高体験にいられれば、その恩恵は計り知れない。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、「偉大な人間と平凡な人間の唯一の違いは、至高体験があるかないかだけだ」と言った。
至高体験とは、それほど重要なものである。
だが、イギリスの作家コリン・ウィルソンは、「至高体験は誰にでもある普通の体験」と言い、マズローもこれを認めたという話である。
だが、この話には、あまりに欠けた部分がある。
普通の人が至高体験になるのは、かなり稀で、しかも、ごく短い時間だ。
それでは、あまり恩恵はない。
偉大な人間は、頻繁に、そして、ある程度の時間、至高体験にいられるのである。
尚、至高体験を超越意識状態と言うことがあるようだ。
「至高」は「絶頂」で、「超越」は「限界を超える」だから、確かに同じようなもので、どちらでも良いと思う。

我々は、常に至高体験、あるいは、超越意識状態にある必要はない。
短い時間でいいから、自在に起こせるようになれば良い。
なぜなら、表現は難しいが、至高体験状態の時は、我々は神のようなものになっているからだ。
エマーソンは、このことを、
「神の魂が私の魂の中に流れ込むと同時に、私の魂が神の魂の中に流れ込む。この体験は忘れることが出来ない」
といったドラマティックな表現をしたが・・・それよりも、やり方を教えてくれれば良かったのだ(笑)。
自在に至高体験を起こすことを魔法と言うのである。
そして、長い時間至高体験に留まれるほど魔法の力は大きいのである。
このくらい単純な話なのだ。

ラマナ・マハルシに誰かが、
「息を止めて額に意識を集中すれば超越意識(至高体験と同じだろう)に達するというのは本当ですか?」
と尋ねた。
それに対し、マハルシは否定しなかったが、意識を集中する場所は胸の方が良いと言ったという話がある。
これは本当で、私は何度も、これで危機を乗り越えた。
集中する場所は、私は胸の方がやり易いが、額でも出来る。
さらに言えば、本当はどこでも良いそうで、マハルシもそう言っていたと思う。
だが、様々な実力ある魔法使い的な人物の話をまとめると、やはり、胸、額、下腹部(丹田)、ヘソ、太陽神経叢(胃の裏側あたり)などを奨めている。ヨガで言うチャクラのある場所と一致するように思う。
D.H.ロレンス(『チャタレイ夫人の恋人』で知られるイギリスの作家)は太陽神経叢を推奨していた。
やり方としては、息をいっぱいに吸って止めてから、特定の場所に意識を集中すれば良い。
一度ではなかなか至高体験に達しないが、何度か繰り返すと、それに近付いていく。

TM(超越瞑想)では、至高体験時の意識や超越意識を、純粋意識と言うようだ。
TMは、全く意味のない短い言葉(マントラ)を心の中で20分ほど繰り返す。
私見であるが、これだと、至高体験に達するとしても、あまりに頻度が低く、そして、その継続時間が短い人が多いと思う。
デヴィッド・リンチやクリント・イーストウッド、あるいは、ビートルズの人達は、たまたま、TMで頻繁に、そして、長い時間至高体験にいられたので、TMを絶賛しているのかもしれないが、だからといって、あなたにも合うとは限らない。私には、全くではないが、あまり合わなかったし、合わない人が多いのではないかと思う。

青い光景
AIアート710
「青い光景」
Kay


私は、他にも至高体験に達する沢山の方法を知っているが、いったいいくつあるのか、すぐには分からない。忘れているものもある。
おいおい話そうと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(4)超越瞑想(マハリシ・マへーシュ・ヨーギー)
(5)無意識の幻想(D・H・ロレンス)
  
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