子供の時とか若い時に好きだったアイドルの写真や映像を見たら、イメージとまるで違うという現象がある。
そんなアイドルを、今、写真や映像で見たら、あまり可愛いと思わなかったり、それどころか、「なんでこんなの好きだったのだろう?」と疑問に思うほど、全く可愛くないとしか思えないというものだ。
この原因としては、今のアイドルの方が昔のアイドルより可愛いので、今のアイドルを見慣れたら、昔のアイドルが色褪せるということが思いつくが、そういうこともあるかもしれない。
そうではなく、単に、昔の流行と今の流行が違うだけという論もある。
つまり、今の人々の感覚で可愛いと感じる顔やスタイル(ファッションや体形など)と、昔の人々が可愛いと感じた顔やスタイルが異なっているだけで、別にどちらが良いとは言えないという論だ。
まあ、どちらが正しいというのではなく、いろいろな原因が入り混じるのだろうと思う。

私が高校生の時、久しぶりに幼稚園の卒園アルバムを見たのだが、幼稚園の時のクラスのアイドルだった女の子の写真を見て、私は愕然とした。
全く可愛くないのだ。
彼女は確かに人気者だったはずだ。
つまり、沢山の子が、彼女を可愛いと思っていたはずだが、それなら、私だけでなく、皆、変なセンスを持っていたように思えてしまった。
それ以来、私は、美人や美男を見ても、彼女や彼が本当に美しいのかどうか疑うようになってしまった。
それは、自分の感覚を信用しないようになったということである。

改めてだが、1人の女の子について、昔は自分は彼女が非常に可愛いと思っていたが、ここに、可愛いとは思えない彼女の昔の写真があるとする。
普通の考えでは、その写真の方が昔の彼女の本当の姿で、思い出の中の可愛い彼女は誤った幻想ということになるだろう。
だが、それは真逆なのだ。
記憶の中の可愛い彼女の姿こそ本物で、目の前の写真の方が幻想である。
これは、反対意見が多いはずだ。
言っている私ですら、頭では、そんなはずはないと思っているのだ。
つまり、この論では、目の前に歴然と存在する写真が偽物ということになるのだから。
それはたとえば、私の幼稚園の卒園写真を、宇宙人か何かがこっそり入れ替えたとでも言っているようなものだ。
しかし、その通りなのである・・・もう、頭がおかしいんじゃないかと私も思う(笑)。
おかしいついでに言うと、その写真を入れ替えた宇宙人とは自分の心である。

時の幻
AIアート703
「時の幻」
Kay


古い物語や、悟った人、武道の達人などは、「見えるものを信じるな」とか、もっと穏やかには「見えるものに惑わされるな」と言う。
目、あるいは、心で見ているものは幻想で、魂、あるいは、霊が見ているものが真実である。
それが分かれば、現実を好きなように作り替えることが出来る。
逆に言えば、見えている幻想を信じている限り、あなたは無力である。
それには、判断をせず、是非好悪を離れなければならない。
そのためには、いつも言うが、深呼吸すること、マントラを唱えること、薄目をすることが有効である。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)荘子(そうじ) (1) (中公クラシックス)
(2)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(3)幻想の未来(筒井康隆。角川文庫)
(4)幻想の未来/文化への不満(フロイト)
(5)幻想の未来(岸田秀)
(6)楽天主義(ヘレン・ケラー)
(7)投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
  
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