今回は超高級マントラの話で、使えない人も多いとは思う。
効果は、普通の概念での効果とはまるで異なる。
というのは、効果を生むその根本に作用するからで、ごく簡単に言えば神になるものといった感じだ。
あるいは、この世界がコンピューターが作るVR(仮想世界)だとしたら、そのメインコンピューターを操るようなものだ。

ラマナ・マハルシが、ある時、最高のマントラは「私」だと言い、2番は「オーム」だと言ったという話がある。
ただ、これは相手に合わせて言った話で、彼が最も重要視していた言葉は「私は誰か?」だ。
ところが、これは彼が使ったタミール語の「ナン・ヤー」を「私は誰か?」と訳したのだろうが、ラメッシ・バルセカールは「私とは何か?」に近いと言ったらしい。
だが、詩人の『ラマナ・マハルシの教え』の翻訳者である山尾三省氏に、漁師の人が送ってくれた詩の中では、「私とは・・・?」という言葉で表現されていた。
(その詩は『ラマナ・マハルシの教え』の「あとがき」に収録)
これが全く適確で、これが使われなかったのは残念であると私は思う。
よって、最上のマントラの1つは「私とは?」である。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、現代に復活したイエス・キリストが最上の言葉と言ったのは「神」である。
昔はそうではなかったかもしれないが、現代では、一般の日本人が使う「神」と英語のGODに、ほぼ差異はないと思う。
ただ、 『ヒマラヤ聖者の生活探求』の信憑性や価値は、著者のベアード.T.スポールディングさえ、「自分で決めて」と言うくらいのものである。
だが、私は「神」というマントラ・・・と言って良ければ、本当に最上のマントラであることは、昔は直観で分かり、今では個人的には検証も出来たと思う。
そこで、もう1つの最上のマントラは「神」である。

ところで、マハルシもイエスも、これらのマントラを「呪文のように繰り返すな」と同じことを言っている。
唱えるのは「1度だけでいい」と言っているのだが、これには困惑するだろう。
まさか、一生に一度唱えればいいというのではあるまい。
だが、これも解明出来た。
それは、このマントラが、鐘やりん(「おりん」とも。漢字では「鈴」。チーンと鳴らす仏具)のようなものであるということだ。
鐘やりんを、まだ音が響いているのに続けて鳴らす人はおるまい。
それと同じで「神」「私とは?」と唱えると、意識の中で言葉が響くのである。
それが響いている間は、もう唱える必要はない。
どのくらいの長さ響くのかというと、それは人それぞれで、数十秒とか数分の場合もあれば、数日とか、もっと長い場合もあるだろう。
このマントラが響く様を現す良い言葉は「余韻嫋嫋(よいんじょうじょう)」だ。
この言葉の意味は、次の通りだ。

音が鳴りやんでも、なお、かすかに残る響き。また、その音が細く長く続く様子。詩や文章の言外の趣や、事が終わったあとの情緒あふれる風情にもたとえる。「嫋嫋」は音声の細く長く続くさま。

つまり、「神」あるいは「私とは?」と唱えて、その余韻嫋嫋を感じることが最上のマントラなのである。

UFO
AIアート702
「UFO」
Kay


余談だが、私は余韻嫋嫋という言葉には、人生で2度しか出会ったことがない。
1つは、とくPさんによる初音ミクさんの楽曲『SPiCa』の中で。
もう1つは、笹沢佐保さんの小説『帰って来た木枯し紋次郎』シリーズ(『木枯し紋次郎』シリーズの続編)のどれかの中で、お寺の鐘の音を、そう表現していたと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(2)ヒマラヤ聖者の生活探究 第5巻(ベアード.T.スポールディング)
(3)SPiCa (とくP feat. 初音ミク)※MP3
(4)MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです” [Blu-ray]
(5)帰って来た木枯し紋次郎(笹沢佐保)
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ