人間が高い能力を発揮したり、さらには、超能力や高い引き寄せ能力を発揮する時というのは、全て根本的には同じことだが、「頭の中のおしゃべりがない」「思考がない」「自我がない」状態である。
ただし、眠っていたり、失神している状態ではなく、意識が鮮明な状態でなければならない。
そういった状態になることを、昔から、「死ぬ気でやる」「死に物狂いでやる」などと表現してきたのは、非常に言い得て妙(ぴったりな表現)であると思う。
ただし、そんな「死ぬ気でやる」「死に物狂いでやる」といった場合、意気込んでしまい自我が強くなってしまっては、高い能力を発揮出来ないのである。
死とは静かなものだ。
死を味方にすれば、あるいは、死と親しくなれば、その人間は必要な時に超人や超能力者になれる。
死を味方にするとか、死と親しくなるとは、自分が好きな時に死の状態になれることである。
死の状態とは、まさに、最初に述べた「頭の中のおしゃべりがない」「思考がない」「自我がない」状態である。
また、昔から、科学的研究において、死の状態の時の脳波はシータ波で、それに近い状態の脳波はスローアルファー波であることが分かっている。
ただし、睡眠中も脳波はシータ波であるが、高い能力を発揮する時は、脳波がシータ波であると共に、やはり意識が鮮明でなくてはならない。
優れた将棋棋士は、対局中、最も強い状態の時の脳波はシータ波であると言われる。
また、プロ野球の一流バッターが打席に入っている時は、ずっとではなくても、投手がボールを投げる時には、バッターの脳波はシータ波になることが多いと思う。
つまり、雑念が消え、リラックスしていながら集中している状態である。
そんな時には、後から考えたら、いわゆる「ボールがよく見える」とか「ボールの縫い目が見える」といった状態であったと分かるのである。
武道などの超人的な能力の開発法や、ヨガや気功の超能力的な能力の開発法は、死の状態を体得し、意図的に死の状態に入ることが出来るようになる方法である。
そして、引き寄せ能力の開発法も全く同じである。
私は、子供の時、テレビの時代劇でこんな場面を見たことがある。
ある、迷いのある若い武士がいて、彼がどうしようもなく駄目な状態の時、彼は、彼と親しいと思われる年長の優れた武士に自分を切るように願う。
その状況は憶えていないが、その若い武士は、ひと想いに死んでしまいたいと思ったのだろう。
すると、年長の武士は、「よし、切ってやる」と言い、若い武士が座って目を閉じると、年長の武士は刀を抜き、気合の声を発し、刀を振るが、刀を若い武士の首の前で止め、刃をその首にそっと当てた。
そして、年長の武士が言う。
「お前は死んだ。死んだと思え」
私は、子供ながら、この場面が印象的でよく憶えている。
これで、この若い武士は、死の状態をいくらかでも体得し、その後の人生では潜在的な能力を発揮するであろうことを直観したのだと思う。
イエスが「本当に生きるには死ななければならない」と言った意味は、このようなことであると思う。
危険な方法なのでやらない方が良いが、イエスは40日間断食することで死の状態を体得したのだと思われる。
ラマナ・マハルシは、16歳の時、不意に死の感覚に襲われて悟りを開いた。
イギリスの作家コリン・ウィルソンは、19歳の時、自殺するつもりで青酸カリを口に入れる瞬間、死の状態になり生まれ変わった。
AIアート671
「朝霧」
Kay
だが、過激な方法を取るべきではない。
「至高体験」というものは、まさに死の状態であり、それを起こすには、何度も書いた通り、自分が幸運だったと思う出来事を思い出すと良い。それに馴染めば、死の状態を起こすコツを掴めるだろう。
あるいは、自分が死んでいなくなった世界を想像するのも良いだろう。
長時間、マントラや呪文や念仏などを唱えるという方法もある。
生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき
至道無難
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)コリン・ウィルソンのすべて 上(コリン・ウィルソン)
(4)ラマナ・マハルシの伝記
(5)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(6)この世に不可能はない(政木和三)
ただし、眠っていたり、失神している状態ではなく、意識が鮮明な状態でなければならない。
そういった状態になることを、昔から、「死ぬ気でやる」「死に物狂いでやる」などと表現してきたのは、非常に言い得て妙(ぴったりな表現)であると思う。
ただし、そんな「死ぬ気でやる」「死に物狂いでやる」といった場合、意気込んでしまい自我が強くなってしまっては、高い能力を発揮出来ないのである。
死とは静かなものだ。
死を味方にすれば、あるいは、死と親しくなれば、その人間は必要な時に超人や超能力者になれる。
死を味方にするとか、死と親しくなるとは、自分が好きな時に死の状態になれることである。
死の状態とは、まさに、最初に述べた「頭の中のおしゃべりがない」「思考がない」「自我がない」状態である。
また、昔から、科学的研究において、死の状態の時の脳波はシータ波で、それに近い状態の脳波はスローアルファー波であることが分かっている。
ただし、睡眠中も脳波はシータ波であるが、高い能力を発揮する時は、脳波がシータ波であると共に、やはり意識が鮮明でなくてはならない。
優れた将棋棋士は、対局中、最も強い状態の時の脳波はシータ波であると言われる。
また、プロ野球の一流バッターが打席に入っている時は、ずっとではなくても、投手がボールを投げる時には、バッターの脳波はシータ波になることが多いと思う。
つまり、雑念が消え、リラックスしていながら集中している状態である。
そんな時には、後から考えたら、いわゆる「ボールがよく見える」とか「ボールの縫い目が見える」といった状態であったと分かるのである。
武道などの超人的な能力の開発法や、ヨガや気功の超能力的な能力の開発法は、死の状態を体得し、意図的に死の状態に入ることが出来るようになる方法である。
そして、引き寄せ能力の開発法も全く同じである。
私は、子供の時、テレビの時代劇でこんな場面を見たことがある。
ある、迷いのある若い武士がいて、彼がどうしようもなく駄目な状態の時、彼は、彼と親しいと思われる年長の優れた武士に自分を切るように願う。
その状況は憶えていないが、その若い武士は、ひと想いに死んでしまいたいと思ったのだろう。
すると、年長の武士は、「よし、切ってやる」と言い、若い武士が座って目を閉じると、年長の武士は刀を抜き、気合の声を発し、刀を振るが、刀を若い武士の首の前で止め、刃をその首にそっと当てた。
そして、年長の武士が言う。
「お前は死んだ。死んだと思え」
私は、子供ながら、この場面が印象的でよく憶えている。
これで、この若い武士は、死の状態をいくらかでも体得し、その後の人生では潜在的な能力を発揮するであろうことを直観したのだと思う。
イエスが「本当に生きるには死ななければならない」と言った意味は、このようなことであると思う。
危険な方法なのでやらない方が良いが、イエスは40日間断食することで死の状態を体得したのだと思われる。
ラマナ・マハルシは、16歳の時、不意に死の感覚に襲われて悟りを開いた。
イギリスの作家コリン・ウィルソンは、19歳の時、自殺するつもりで青酸カリを口に入れる瞬間、死の状態になり生まれ変わった。
AIアート671
「朝霧」
Kay
だが、過激な方法を取るべきではない。
「至高体験」というものは、まさに死の状態であり、それを起こすには、何度も書いた通り、自分が幸運だったと思う出来事を思い出すと良い。それに馴染めば、死の状態を起こすコツを掴めるだろう。
あるいは、自分が死んでいなくなった世界を想像するのも良いだろう。
長時間、マントラや呪文や念仏などを唱えるという方法もある。
生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき
至道無難
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)コリン・ウィルソンのすべて 上(コリン・ウィルソン)
(4)ラマナ・マハルシの伝記
(5)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(6)この世に不可能はない(政木和三)
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