前回の記事で書いた、「自分が幸運だった出来事を思い出す」メソッドは非常に重要なものだと改めて思う。
そのメソッドが、人間の超越状態、あるいは、天才とか超能力者の状態とも考えられる「至高体験」に導く。
もし、幸運な出来事をなかなか思い出せなかったり、あるいは、なんとか「あれは幸運だったな」と思い出しても、さしたる感慨を感じないようなら、重要な精神的能力が老化している可能性があり、それだと引き寄せ能力も低下しているかもしれないのである。
だが、意識的に思い出そうとすれば、再びそんな力を取り戻せると思う。

幸運だったと思う出来事と言っても、ラッキーという意味だけでなく、「よかった」と思う出来事もそれに含まれる。
「至高体験とは、単に自分が幸運だと思うこと」と言ったイギリスの作家コリン・ウィルソン自身が、最も重要な幸運の出来事としていた話がこんなものだった。
彼が、妻とまだ幼い娘とで、車で旅行していた時のことだ。
買い物のためにドラッグストアに立ち寄ったのだが、夫妻がちょっと目を離した隙に娘の姿が見当たらなくなった。
そして、いくら探しても見つからず、ウィルソンの緊迫感が高まり、どんどん絶望的な気分になっていった。
ところが、娘は何でもない場所にいて、ひょっこり姿を現した。
ウィルソンは、その時のことを思い出すと、いつでも至高体験に入れるという。

私は昔、自己啓発セミナーで講師をしていた時、経営者を中心とする十数名の受講者達に、この「自分が幸運だったと思う出来事」を発表してもらった。マズローが、自分が教授を務めていた大学で行ったことの真似である。
そうしたら・・・出てくるわ出てくるわ、凄い体験が。
ある女性の、殺されそうになった時に、覚悟を決めて「殺したいなら殺しなさい」と言ったら、相手が謝って逃げていったという話もあった。
他にも、危機一髪で命拾いした話があったが、運よく死を免れた話なら、私にもいくつかある。
改めて思い出さなければ「たまたま」という程度のちょっとした幸運かもしれないが、正直な成功者は皆、自分の成功の要因を聞かれたら「たまたまだ」と言うのだ。

あくまで日本プロ野球の記録とはいえ、ホームラン数世界記録を持つ王貞治さんは、少年時代、草野球をしていた時、たまたまプロ野球のコーチが通りかかり、王さんに「左で打ってみなさい」と言わなかったら、王さんは本格的に野球をやることはなかったと言う。
あえて言わないだけで、成功者がその道に入ったきっかけが「たまたま」であることは予想以上に多いと思う。
成功者では全くないが、私がコンピュータープログラミングを始めたきっかけは、勤めていた小さな会社の技術課長が、たまたま私と同じ大学の出身だったことがきっかけで仲良くなる中で、彼が「プログラミングをやりなさい」と言ったからだった。しかも、彼が「アセンブリ言語をやりなさい」と言ってくれたことで、普通の人よりは深くコンピューターを理解することが出来たのだった。
まあ、いまどき、なかなかアセンブリ言語を学ぶ人はいないだろうが、やるとやらないでは、コンピューターの働きに対するイメージが全く違うと思う。

牧歌的な光景
AIアート668
「牧歌的な光景」
Kay


松下幸之助が「人間は運が良くないといけない」と言い、豊臣秀吉が幹部を採用する際、自分は運が良いと思っている人を選んだという逸話も、実に当を得たことであると思う。
スピリチュアルない言い方では、運が良かった出来事を思い出し、「よかったなあ」と思うことで幸運の波動が発生し、その波動が幸運を呼ぶ・・・みたいになるのかもしれないが、雰囲気としては、そんなこともあると思う。
そして、その「よかったなあ」の気持ちが高まると、至高体験に近付き、意識は鮮明なのに思考が消えるが、それが天才の状態、超能力者の状態であるのだと思う。もちろん、引き寄せの状態でもある。
あのお堅い発明家の中山正和さんも、頭の中から言葉が消え、澄み切った状態になった時には、予知能力が起こり、未来が分かると、珍しくスピリチュアルなことを書かれていたが、それが運の良さとも関係するのだそうである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)至高体験(コリン・ウィルソン)
(2)完全なる人間 [第2版](アブラハム・マズロー)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)運のいい人、悪い人(中山正和)
(5)運とつきあう(マックス・ギュンター)
(6)運は実力を超える(植島啓司)
(7)ARMで学ぶ アセンブリ言語入門
  
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