「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という言葉があるが、だいたいの意味は、「立派な男は3日で大きく成長していることがあるので、会った時は注意して見なさい」というものと思う。
もちろん、今の時代、男がそうであるなら女もだろう。
ところで、この言葉を、「我々は短期間で大いに成長するよう努力しなければならない」という雰囲気で引用する人が多いような気がする。
これは「日々精進せよ」という意味になると思う。
しかし、実際は、久々に会うと、随分劣化したという人が多いかもしれない。
3日というのではないが、久々に会ったら、変化に驚いたという印象深い人が、私には2人いた。
1人は、高校時代の同級生の男子で、1年生の時と3年生の時で驚くほど変わっていた。
私が通った高校は、一応は私立の進学校で、上品な生徒が多く、不良っぽい生徒もいたが、そんな生徒も道理をわきまえており、勉強もちゃんとするという、不良とも言えない中途半端な連中であったが、1年生の時、そんな不良っぽい数人のグループの中でパシリ(使い走り)をやらされていた生徒がいた。
彼は、背はかなり高かったが肥満していて、気が弱く、グループの者達の命令は何でも(かなり無茶なことでも)ヘコヘコしながら聞いていた。
2年生でクラス替えをしてからは、彼を見かけることはほとんどなくなったが、3年生の秋に久々に彼を見る機会があったが、かなり驚くような変貌を遂げていた。
肥満していた身体はかなりシェイプアップされ、実際、普通の生徒とはかけ離れた体力があり、以前は考えられなかったほどの自信のある顔つきに変わっていた。
彼に何があったのかは分からないが、相当鍛えたことは間違いない。
彼を見て、私は初めて、「人間って変わるんだなあ」と思ったものだった。
もう1人は女性で、初めて同じクラスになった小学校6年生の時は、クラス1の美少女の人気者で、勉強もスポーツも出来、明るく快活で、模範生、優等生という言い方がぴったりだった。
私にとって彼女の印象深い出来事は、何かの拍子に彼女のスカートがまくれ、冬だったので毛糸のパンツが丸見えになり、男子たちがからかい、彼女は顔を両手で隠して恥ずかしがったが、彼女は笑ってやり過ごした。これには、彼女が、明るい、さっぱりとした、芯の強い子であることが現れていた。
私は夢中になるほどではなかったが、彼女に憧れてはいた(ただ、好みのタイプではなかったかもしれない)。
そんな彼女を、大学生の二十歳の時に、たまたま見かけた。
その時の彼女に対する私の印象は「踏んづけたダルマさん」だった。
すっかり肥満し、顔も肉がついて、かつての面影はあるが美人とは言えなかった。
もし私が、以前、彼女に恋焦がれていたら、さぞや失望、落胆しただろうが、そうでなくて良かった。
さて、人間は、3日どころでなく、瞬間瞬間、生まれ変わる。
一瞬で生まれ変わったように見える人は少ないが、一瞬で別人というほど変わることも全く可能だ。
しかし、ほとんどの人は、いつも一瞬前と同じような人間に生まれ変わっているのである。
だが本当は、上で述べたような、2人の男女のような変化を一瞬で起こすことが出来る。
上の男子の例の場合、彼は、一瞬一瞬、少しずつ変化したのだと思われる。そのために、彼は努力を要したと思うかもしれないが、必ずしも努力をしなければならなかったわけではない。
ただし、やはり人類の多くは、向上のためには長い努力が必要だという観念を持っていて、そこから離れるのは難しい。
だから、一瞬で超人になる人は、まあ、滅多にいない。
だが、実際は可能である。
とはいえ、これも、信じるかどうかの問題になり、信じられない人は、やはり、長い時間をかけ、努力して向上するしかない。
AIアート629
「地球の風景」
Kay
私が好きな『キャシャーンSins』という2008年のアニメがあるが、主人公のロボット(ただし、普通のロボットの観念とはまるで違うロボット)であるキャシャーンは、よく「まるで昨日作られたばかりのように新品だ」と言われる。
ロボット達の謎のボディーの崩壊現象が広がる中、キャシャーンだけは全く崩壊せず、それどころか、傷付いても、すぐに治ってしまう。
私がこのアニメに非常に感銘を受けたのは、人間は元々は、皆、そうであるからだ。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』に登場するマスター(大師)達が全くそうである。
この『キャシャーンSins』や『BEM』(2019。昔の『妖怪人間ベム』のリメイク作品)では、キャシャーンや妖怪人間達は、「死ねない苦しさ」を訴えるが、そんなことがあるはずがない。
元々我々は不死であり、ある意味、彼らのように身体を再生させることが出来るが、彼らに苦しみがあるとしたら、「前と同じようにしか再生出来ない」ことだろう。
もちろん、地球人に課せられた制約(あるいは制限)の観念は強い。
生まれてしばらく成長し、やがて、1日1日と衰え、老いさらばえて死んでいくという、強い制約である。
本当のことを言えば、世界が一瞬一瞬生まれ変わっているのだが、世界は自分でもある。
それが分かる人が増えている。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻
(2)キャシャーンSins(Amazon Prime Video)
(3)BEM(Amazon Prime Video)
(4)バシャール・ペーパーバック6
(5)CASSHERN(Amazon Prime Video)
もちろん、今の時代、男がそうであるなら女もだろう。
ところで、この言葉を、「我々は短期間で大いに成長するよう努力しなければならない」という雰囲気で引用する人が多いような気がする。
これは「日々精進せよ」という意味になると思う。
しかし、実際は、久々に会うと、随分劣化したという人が多いかもしれない。
3日というのではないが、久々に会ったら、変化に驚いたという印象深い人が、私には2人いた。
1人は、高校時代の同級生の男子で、1年生の時と3年生の時で驚くほど変わっていた。
私が通った高校は、一応は私立の進学校で、上品な生徒が多く、不良っぽい生徒もいたが、そんな生徒も道理をわきまえており、勉強もちゃんとするという、不良とも言えない中途半端な連中であったが、1年生の時、そんな不良っぽい数人のグループの中でパシリ(使い走り)をやらされていた生徒がいた。
彼は、背はかなり高かったが肥満していて、気が弱く、グループの者達の命令は何でも(かなり無茶なことでも)ヘコヘコしながら聞いていた。
2年生でクラス替えをしてからは、彼を見かけることはほとんどなくなったが、3年生の秋に久々に彼を見る機会があったが、かなり驚くような変貌を遂げていた。
肥満していた身体はかなりシェイプアップされ、実際、普通の生徒とはかけ離れた体力があり、以前は考えられなかったほどの自信のある顔つきに変わっていた。
彼に何があったのかは分からないが、相当鍛えたことは間違いない。
彼を見て、私は初めて、「人間って変わるんだなあ」と思ったものだった。
もう1人は女性で、初めて同じクラスになった小学校6年生の時は、クラス1の美少女の人気者で、勉強もスポーツも出来、明るく快活で、模範生、優等生という言い方がぴったりだった。
私にとって彼女の印象深い出来事は、何かの拍子に彼女のスカートがまくれ、冬だったので毛糸のパンツが丸見えになり、男子たちがからかい、彼女は顔を両手で隠して恥ずかしがったが、彼女は笑ってやり過ごした。これには、彼女が、明るい、さっぱりとした、芯の強い子であることが現れていた。
私は夢中になるほどではなかったが、彼女に憧れてはいた(ただ、好みのタイプではなかったかもしれない)。
そんな彼女を、大学生の二十歳の時に、たまたま見かけた。
その時の彼女に対する私の印象は「踏んづけたダルマさん」だった。
すっかり肥満し、顔も肉がついて、かつての面影はあるが美人とは言えなかった。
もし私が、以前、彼女に恋焦がれていたら、さぞや失望、落胆しただろうが、そうでなくて良かった。
さて、人間は、3日どころでなく、瞬間瞬間、生まれ変わる。
一瞬で生まれ変わったように見える人は少ないが、一瞬で別人というほど変わることも全く可能だ。
しかし、ほとんどの人は、いつも一瞬前と同じような人間に生まれ変わっているのである。
だが本当は、上で述べたような、2人の男女のような変化を一瞬で起こすことが出来る。
上の男子の例の場合、彼は、一瞬一瞬、少しずつ変化したのだと思われる。そのために、彼は努力を要したと思うかもしれないが、必ずしも努力をしなければならなかったわけではない。
ただし、やはり人類の多くは、向上のためには長い努力が必要だという観念を持っていて、そこから離れるのは難しい。
だから、一瞬で超人になる人は、まあ、滅多にいない。
だが、実際は可能である。
とはいえ、これも、信じるかどうかの問題になり、信じられない人は、やはり、長い時間をかけ、努力して向上するしかない。
AIアート629
「地球の風景」
Kay
私が好きな『キャシャーンSins』という2008年のアニメがあるが、主人公のロボット(ただし、普通のロボットの観念とはまるで違うロボット)であるキャシャーンは、よく「まるで昨日作られたばかりのように新品だ」と言われる。
ロボット達の謎のボディーの崩壊現象が広がる中、キャシャーンだけは全く崩壊せず、それどころか、傷付いても、すぐに治ってしまう。
私がこのアニメに非常に感銘を受けたのは、人間は元々は、皆、そうであるからだ。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』に登場するマスター(大師)達が全くそうである。
この『キャシャーンSins』や『BEM』(2019。昔の『妖怪人間ベム』のリメイク作品)では、キャシャーンや妖怪人間達は、「死ねない苦しさ」を訴えるが、そんなことがあるはずがない。
元々我々は不死であり、ある意味、彼らのように身体を再生させることが出来るが、彼らに苦しみがあるとしたら、「前と同じようにしか再生出来ない」ことだろう。
もちろん、地球人に課せられた制約(あるいは制限)の観念は強い。
生まれてしばらく成長し、やがて、1日1日と衰え、老いさらばえて死んでいくという、強い制約である。
本当のことを言えば、世界が一瞬一瞬生まれ変わっているのだが、世界は自分でもある。
それが分かる人が増えている。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻
(2)キャシャーンSins(Amazon Prime Video)
(3)BEM(Amazon Prime Video)
(4)バシャール・ペーパーバック6
(5)CASSHERN(Amazon Prime Video)
人気ランキング参加中です |