イエス・キリストは、「汝破れたり。退けサタン」と言って、サタンを黙らせたのだが、サタンは思考のことで、心、自我だと言っても良い。
たとえば、男の子が好きな女の子が出来たら、「彼女は僕が好きだろうか?」「彼女は僕を嫌いじゃないだろうか?」「彼女には好きな男の子がいるのではないだろうか?」「彼女に格好良いと思ってもらうにはどうすればいいのか?」など等、いろんな思考が起こる。思考するのは自我であり、心である。
イエスは、こんな思考、あるいは自我、あるいは心を黙らせたのである。
面倒だから、以下、思考、自我、心を、まとめて「思考」と言う。
思考を黙らせればキリストであり、全知全能だ。
そこで、思考を消す光線銃が欲しいものだが、思考は死なない。黙らせても、必ず蘇る。
だから、軽量小型の携帯性の良い光線銃を手に入れ、出てくる度に光線銃で撃って黙らせるしかない。
でも、そうやって何度も光線銃で撃っているうちに、思考は大人しくなってくる。

ラマナ・マハルシは、その光線銃は「私は誰か?」という想いだと言った。
ただ、マハルシのそれは、思考を黙らせると言うより、本当に思考を殺して二度と復活しないことを目的にするものだ。
その目的の達成はハードルが高い。
マハルシの光線銃「私は誰か?」は大型で強力なものと思われる。
だが、大型だけあって、少々操作が難しいかもしれない。
とはいえ、誰でも使えるのだから、時々は使うと良い。

妖精は光に透ける
AIアート595
「妖精は光に透ける」
Kay


そこで、いつでも手軽に使える、対思考用の軽量小型光線銃を手にしよう。
マハルシの大型光線銃に比べれば、パラライザー(麻痺させる武器)みたいなもので、一般に言う麻酔銃のような光線銃だ。
しかし、思考というお化けが出てきたら、とりあえずパラライザーで痺れさせれば安心だ。
そして、お化けも、何度も撃たれていたら、そのうち大人しくなる。その理由は、お化けがパラライザーを恐がるというより、撃てば痺れさせることが出来るというこちらの自信がお化けを威圧するのだ。
その小型軽量のパラライザー効果のある光線銃は、「だから何?」という言葉だ。
「だから何?」「それが何?」「それで?」「だから?」などのバリエーションがある。
英語では So What? だ。
性能が悪い光線銃「知らんよ」「知るもんか」「関係ない」「どうでもいい」だと、お化けはあまり大人しくならない。
だが、「だから何?」と言えば、お化けは確実に痺れて大人しくなる。
心配事や不安、悩み事が出てきたら「だから何?」と言ってやれば、その心配事を構成する思考は痺れて黙る。
そうすれば、心配する必要がない心配だと分かったり、あるいは、本当に必要なことが浮かび、それを何も考えず淡々と実行し、気が付いたら解決している。
そりゃ、思考がない時に浮かぶ解決策は天才の解決策なのだから当然だ。
つまり、思考を消せば、誰でも天才なのだ。
悪い意味で言う「思考停止」は、本当は思考が停止しているのではなく、愚かな思考にとりつかれた状態で、洗脳状態であると言うことが出来る。
この光線銃は、そんな愚かな思考も痺れさせ、黙らせる。
最新の、小型軽量、クールでイカした、それでいて性能抜群、いかなるお化け(思考)も痺れさせる光線銃、
「だから何?」「それが何?」「それで?」「だから?」
ただいま無料である(本当はずっと無料だが)。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え
(2)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(3)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(4)こころの最終講義(河合隼雄)
(5)自我と無意識 (C.G. ユング)
  
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