こんなことを考えたことはないだろうか?
世間ではよく、「プライドを持て」「自尊心が大切」と言い、自分がそう言われた人も多いと思う。
一方、プライドや自尊心が高過ぎる者が駄目であることはもちろんだが、本物の聖者達は皆、「プライドを捨てよ」「自尊心を捨てよ」と言う。
いや、俗人だって賢い人は「プライドや自尊心なんて下らないものは捨てた方がいい」と言う。
異論はあるだろうが、「プライド」と「自尊心」は同じものとして「プライド」で統一する。
そこで、どちらが(「プライドを持つこと」と「プライドを捨てること」)良いのだろうか?
どちらが正しいのかと言うと簡単で、プライドを捨てる方が正しい。
こう言うと、当然、反論がある。
つまり、どうしてもプライドは必要な、やはり大切なものだと言いたいのである。
プライドが必要に思えることは分かる。
なぜか?
プライドを持たないと、マイナスのプライドを持ってしまうからだ。
つまり「俺は偉い」「俺は優れている」「俺は世界で1つだけの花だ」というプラスのプライドに対し、「俺は卑しい」「俺は劣っている」「俺はどこにでもいる、いなくていい雑草」というマイナスのプライドがあるが、プラスかマイナスかだけで、どちらもプライドだ。
ちょうど、空気や水に対し「空気はすごく大切だ。崇め奉らないといけない」と言うのも、「水なんてどこにでもある。価値のないものだ」と言うのも、共におかしいようなものだ。
人も空気や水のようなもので、大切ではあるが、一部の空気が「俺は他の空気より優れている」と主張したりはしない。
「アルプスの空気である俺は絶品。東京の空気とは違う」と言ったら、そのアルプスの空気は愚か者だ。含まれているものや、存在する場所が違うだけで、全く同じ空気である。
しかし、世間では「お前たちはアルプスの空気であるというプライドを持て」と言うのである。
教師や政治家が腐っている・・・つまり、連中が、普通の人では考えられない異常な思考を持ったり、不道徳な行いをするのは、「先生」と呼ばれるからだ。
「先生」という空気は、他の空気より偉いと思ってしまう・・・つまり、プラスのプライドを持つことで歪むのである。
これは、人から蔑まれる仕事をしている者が、マイナスのプライドを持って歪むのと同じだ。
教師や政治家の質がどんどん落ちているのは、彼らを「先生」と呼ぶことが多くなっているからで、彼らを「先生」と呼ぶのを禁止すると、たちまち、教師や政治家の質は上がる。
世の中には、非常に頭が良く、学問を積み、実績も上げることで「先生」と呼ばれる人もいる。
しかし、「先生」と呼ばれることに慣れると、たちまち腐ってしまう。
最近、ネットでよく、ある実績ある老齢の科学者を見るが、彼を見ると、一瞬で「こいつ腐っている」と分かる。
彼をT氏とすると、T氏は自分の話の中で「〇〇さんが、『T先生、これをやって下さいよ』と言うのですよ」といった感じで、自分が「先生」と呼ばれることを当然のように思っている。
そんな人間には注意した方が良い。
そんな人間がまともであるはずがなく、実際、T氏はおそろしく醜悪なことをしている。
T氏は、自分では謙虚を装っているが、一目で高慢の塊だと分かるのである。
霊的な話の中で、神は大海であり、人間は大海の中の一滴の水であると言われることがある。
一滴の水とはいえ、大海と同じ水である。
ルドルフ・シュタイナーも同じことを本に書いている。
すると凡人は、「俺は一滴の水なんて嫌だ。大海と同じ価値があるんだ」と言いたがる。
そういう人を、世間ではプライドが高い人と言う。
一方、「俺は一滴の水に過ぎない。いなくていい存在だ」と言う者もいる。
そういう人を、世間ではプライドが低い人と言う。
一滴の水のプライド(プラスもマイナスも)があるうちは引き寄せも出来ない。
こういう問題を、言葉で、理屈で、説法で解決しようとしたら、ますます迷うばかりだ。
淡々と、深呼吸、腕振り運動、足踏み四股をすることで(マントラや念仏を唱えるとかお経や祝詞を上げるのでも良いが)、プライドの元である思考を消せば良く、それが一番簡単な方法である。
プライドが消えるまで根気よくやる必要がある。
それなら、実益を兼ねた深呼吸、腕振り運動、足踏み四股をお奨めするのである。
理屈をさらっと流したければ、『荘子』にうまく書かれている。

AIアート549
「降りてくる月」
Kay
社会で頭を叩かれた人間が立派になることが多かった。
しかし、今はパワハラと言われるので、若い未熟な者が叩かれることがなくなり、若い未熟な者がプライドを増大させることが多くなった。
なぜ、頭を叩かれる・・・良くない部分は当然あるが、人格を否定される扱いをされると立派になるのか?
それは、頭で考えることの無力さを思い知り、無駄に頭を使わなくなるからだ。
頭は、使うべき場所で使えばよく、それはごく簡単なことだけだ。
だが、簡単なことをおろそかにして、考えても仕方がないことを考えたがる愚か者が増えているのである。
天下国家を論じるより、周囲の人の迷惑を考えるべきなのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)荘子〈1〉 (中公クラシックス)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)中国の思想(12) 荘子(改訂版) (徳間文庫)
(4)神秘学概論 (ルドルフ・シュタイナー)
(5)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(6)人生を思うように変える呼吸法
(7)新装版 ヤオイズム あなたは本当に生きているか
世間ではよく、「プライドを持て」「自尊心が大切」と言い、自分がそう言われた人も多いと思う。
一方、プライドや自尊心が高過ぎる者が駄目であることはもちろんだが、本物の聖者達は皆、「プライドを捨てよ」「自尊心を捨てよ」と言う。
いや、俗人だって賢い人は「プライドや自尊心なんて下らないものは捨てた方がいい」と言う。
異論はあるだろうが、「プライド」と「自尊心」は同じものとして「プライド」で統一する。
そこで、どちらが(「プライドを持つこと」と「プライドを捨てること」)良いのだろうか?
どちらが正しいのかと言うと簡単で、プライドを捨てる方が正しい。
こう言うと、当然、反論がある。
つまり、どうしてもプライドは必要な、やはり大切なものだと言いたいのである。
プライドが必要に思えることは分かる。
なぜか?
プライドを持たないと、マイナスのプライドを持ってしまうからだ。
つまり「俺は偉い」「俺は優れている」「俺は世界で1つだけの花だ」というプラスのプライドに対し、「俺は卑しい」「俺は劣っている」「俺はどこにでもいる、いなくていい雑草」というマイナスのプライドがあるが、プラスかマイナスかだけで、どちらもプライドだ。
ちょうど、空気や水に対し「空気はすごく大切だ。崇め奉らないといけない」と言うのも、「水なんてどこにでもある。価値のないものだ」と言うのも、共におかしいようなものだ。
人も空気や水のようなもので、大切ではあるが、一部の空気が「俺は他の空気より優れている」と主張したりはしない。
「アルプスの空気である俺は絶品。東京の空気とは違う」と言ったら、そのアルプスの空気は愚か者だ。含まれているものや、存在する場所が違うだけで、全く同じ空気である。
しかし、世間では「お前たちはアルプスの空気であるというプライドを持て」と言うのである。
教師や政治家が腐っている・・・つまり、連中が、普通の人では考えられない異常な思考を持ったり、不道徳な行いをするのは、「先生」と呼ばれるからだ。
「先生」という空気は、他の空気より偉いと思ってしまう・・・つまり、プラスのプライドを持つことで歪むのである。
これは、人から蔑まれる仕事をしている者が、マイナスのプライドを持って歪むのと同じだ。
教師や政治家の質がどんどん落ちているのは、彼らを「先生」と呼ぶことが多くなっているからで、彼らを「先生」と呼ぶのを禁止すると、たちまち、教師や政治家の質は上がる。
世の中には、非常に頭が良く、学問を積み、実績も上げることで「先生」と呼ばれる人もいる。
しかし、「先生」と呼ばれることに慣れると、たちまち腐ってしまう。
最近、ネットでよく、ある実績ある老齢の科学者を見るが、彼を見ると、一瞬で「こいつ腐っている」と分かる。
彼をT氏とすると、T氏は自分の話の中で「〇〇さんが、『T先生、これをやって下さいよ』と言うのですよ」といった感じで、自分が「先生」と呼ばれることを当然のように思っている。
そんな人間には注意した方が良い。
そんな人間がまともであるはずがなく、実際、T氏はおそろしく醜悪なことをしている。
T氏は、自分では謙虚を装っているが、一目で高慢の塊だと分かるのである。
霊的な話の中で、神は大海であり、人間は大海の中の一滴の水であると言われることがある。
一滴の水とはいえ、大海と同じ水である。
ルドルフ・シュタイナーも同じことを本に書いている。
すると凡人は、「俺は一滴の水なんて嫌だ。大海と同じ価値があるんだ」と言いたがる。
そういう人を、世間ではプライドが高い人と言う。
一方、「俺は一滴の水に過ぎない。いなくていい存在だ」と言う者もいる。
そういう人を、世間ではプライドが低い人と言う。
一滴の水のプライド(プラスもマイナスも)があるうちは引き寄せも出来ない。
こういう問題を、言葉で、理屈で、説法で解決しようとしたら、ますます迷うばかりだ。
淡々と、深呼吸、腕振り運動、足踏み四股をすることで(マントラや念仏を唱えるとかお経や祝詞を上げるのでも良いが)、プライドの元である思考を消せば良く、それが一番簡単な方法である。
プライドが消えるまで根気よくやる必要がある。
それなら、実益を兼ねた深呼吸、腕振り運動、足踏み四股をお奨めするのである。
理屈をさらっと流したければ、『荘子』にうまく書かれている。

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「降りてくる月」
Kay
社会で頭を叩かれた人間が立派になることが多かった。
しかし、今はパワハラと言われるので、若い未熟な者が叩かれることがなくなり、若い未熟な者がプライドを増大させることが多くなった。
なぜ、頭を叩かれる・・・良くない部分は当然あるが、人格を否定される扱いをされると立派になるのか?
それは、頭で考えることの無力さを思い知り、無駄に頭を使わなくなるからだ。
頭は、使うべき場所で使えばよく、それはごく簡単なことだけだ。
だが、簡単なことをおろそかにして、考えても仕方がないことを考えたがる愚か者が増えているのである。
天下国家を論じるより、周囲の人の迷惑を考えるべきなのである。
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(1)荘子〈1〉 (中公クラシックス)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)中国の思想(12) 荘子(改訂版) (徳間文庫)
(4)神秘学概論 (ルドルフ・シュタイナー)
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