今回は、世界が夢のようなものであることを前提として話す。
世界は実際に夢なのであるが、そうであることを無理に信じる必要はない。
だが、信じられなくても、ここでは1つのフェアリーテール(おとぎ話)として、世界は夢であるとする。

この世界という夢に対し、人々は2通りの印象を持つ。
それは単純で、不満か満足かで、大人になるまでに、ほとんどの者は不満につく。
だが、神らしい力を得たければ、満足しなければならない。
たとえどんな状況であろうと。
それは難しいと思うかもしれないが、今、この一瞬だけが世界であるとすればそうではなくなる。
普通、世界について考える時、遠いか近いかに関わりなく、過去や未来のことを考えるが、そうであれば必ず不満が浮かぶ。
しかし、今、この瞬間だけを考えれば、不思議な満足を感じる。
一般に引き寄せででは、「現状に感謝しろ」と言うが、わざとらしい不自然な感謝は、実際は不満の表明である。
そうではなく、今一瞬だけを意識するなら、それで良いのである。

ある意味、過去や未来を創るのが自我である自分で、今を創るのが神である真の自分である。

世界に不満だから、これを変えようとすると悪魔に魅入られたように感じることになる。つまり、悪魔に使役されるように感じ、シンドイのである。
だが、今この瞬間を意識すれば、悪魔から解放されたように感じ、無理に満足しようとしなくても満足し、やすらぎを感じる。
それは、やってみればすぐに分かると思う。

その上で、この夢の世界を創ったのは、自我ではない本当の自分、つまり、高次の自分であることが分かれば、高次の自分は良いものだけを創る。
高次の自分とは何であるかが理解出来ない場合は、それと最も近い概念である神と考えると良いと思う。

今この瞬間
AIアート529
「今この瞬間」
Kay


ここらについては、『コーラン』の56章アル・ワーキア(出来事)に、近い雰囲気のことが書かれている。
ここには、我々が高次の世界(いわゆる天国か)に踏み入った後のことが書かれているが、この章には曲解が多い。
ただし、曲解と言っても、あながち間違いではない。
それに、その曲解もムハマンドの解釈を基にしていると思われる。
例えば、沢山の聖なる乙女が与えられるというものがあるが、永遠に若い少年のことも書かれているから、女性の場合も適当に当てはめて考えれば良いと思う。
そして、コーランのこの章では、世界の全ては神が創ったものであり、それを理解するかしないかが重要であるといったことが書かれている。
この章に記述された夢のような世界を想い、それが、真の自分である神が創ったのだと思えば、視界が開けるかもしれない。
そう思って、ちょっとこんな話をした。

尚、コーランに関しては、機械翻訳されただけの安価なKIndle本があるが、57章に関しては、それで割合に雰囲気が掴めると思うので、下の1冊目に紹介した。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)神聖なコーラン
(2)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
(3)原典訳 アヴェスター
(4)世界一わかりやすい!大科学者スウェーデンボルグの天国と地獄Q&A
  
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