人生とは辛いもの・・・らしい(笑)。
徳川家康は、人生とは、坂道を重荷を背負って昇るようなものだと言ったらしいが(これに関する本当のことは知らないが)、それはなかなかしんどそうだ。しかし、多くの人は、人生の苦労はそれどころではないと感じていると思う。
イエス・キリストは、重荷は私に預けよと言ったことになっているが、「どうやって預けるか」が分からないと思う。イエスはそこまでは言わなかったが、言ったが伝わっていないかである。

ところで、今はどうか知らないが、中国人の真似をする時は薄目をするのが定番だったらしい。
これは察するに、昔の中国の圧政は想像以上で、庶民は悲惨な状況だったという歴史家の話を見た覚えがあるが、庶民が、そんな現実を文字通り「見ない」・・・実際は「あまり見ない」ために、そんなことをやり始めたのかもしれない。
ところが、芸術やオカルト、そして、科学的な研究において、薄目でものを見る、あるいは視界にまつ毛を重ねて見ることで、脳を特殊な精神状態に導くということが少し分かっていると思う。ただ、お金にならない研究なこともあり曖昧なままであるような気がする。
しかし、曖昧なままの方が良いかもしれない。このような微妙で神秘的なことを下手に合理的に解釈しない方が良い。
大雑把な言い方をすれば、薄目で見ることで、脳のなんらかの作用により、精神のモードが切り替わり、超越的な状態、霊的な状態、アルタード・ステーツ(変性意識)状態になっていくのである(個人により程度の差はある)。
それによって分かることは、世界、あるいは人生は夢と変わらないということだ。

辛いと言われる世の中、あるいは人生が夢だと分かれば、辛いとは思わず、せいぜい「面白くない」という認識に変わる。
嫌な夢を見ている時、その夢を辛いと思うかもしれないが、これが夢だと気付けば、それほど辛くないようなものだ。
そして、夢の中で、これが夢だと気付けば、夢は変化し、うまくいけば快適な状況に変わる。
現実も同じである。
古代中国に、やたら賢者が多かったのは、圧政の中で薄目で見ることが流行ったからではないかと思えるほどである。
特に荘子は、現実は全く夢だと断じていたが、荘子はそこそこの身分でありながら、何か辛い状況にあり、庶民の現実逃避法を学んで、高次の世界に目覚めたのかもしれない。

稀に分かる人がいるが、私は幼い時から、何でもいいが、何かに「さりげなく意識を集める」と、その何かから存在感が消えるのを発見し、その精神操作に夢中になったものだが、これは、夢の中特有のものの見方を現実でやったのである。
夢と現実は同じとはいえ、やや精神状態が異なることは間違いない。
この「さりげなく意識を集める」ことは、発明家のイツァク・ベントフが『ベントフ氏の超意識の物理学入門』の中で、ある種の幽体離脱とか千里眼の実験として提示しているが、やはり、超越意識の状態に導くのだろう。
私が子供の時、異常な引き寄せ能力を持っていたのも、そんなことに関係すると思う。

夢
AIアート528
「夢」
Kay


世界、あるいは人生は夢であると見なせ、薄目で見ろ、さりげなく意識を集めろ、深呼吸しろ・・・こういったことは繰り返し述べた方が良いかもしれない。
これらを公式として行うのではなく、さりげなく行ううちに、不意に閃きを呼ぶ。それは1つの悟りである。
世界は夢であり、それを作っているのは内なる神のようなものだ。
コリン・ウィルソンは『右脳の冒険』の中で、「内なる魔術師」が世界を目を向けた範囲で瞬時に作るのだと、なかなか鋭いことを述べている。
とにかく、世界は夢である。
IA(イア)とONE(オネ)のデュエットソング『Into Starlight』の歌詞が、それを美しく表現していると思う。

浮かぶ幻 私を高次元に誘うけど
目の前の今 輝き眩しすぎて
回る 陽炎 私を取り囲むように
さあ、と巡る 奏でる まるで夢見たように
~『Into Starlight』(作詞・作曲・編曲:KURIS・YUICHI NAKASE。歌:IA・ONE)より~

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ベントフ氏の超意識の物理学入門
(2)荘子〈1〉 (中公クラシックス)
(3)右脳の冒険―内宇宙への道
(4)魂の体外旅行: 体外離脱の科学
(5)ラマナ・マハルシの教え
  
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