最近、至高の呪文として、「吾(われ)神なり」を紹介する動画を見た。
だが、その動画の使い方なら、全く効果はない。
この呪文は確かに本物で、凄まじく強力であるが、使い方にコツがある。
2001年の『サイボーグ009』のアニメで、009達は、神を名乗る(姿や力はギリシャ神話の神に似ている)ミュートス・サイボーグ達と戦う。
ミュートス・サイボーグ達は、サイボーグに改造される時に、改造前の記憶を消され、自分を神であると信じるよう洗脳されていた。
ミュートス・サイボーグ達のリーダーであるアポロは、拳を握り、決め顔で高らかに言う。
「われは神」
つまり、「吾神なり」の呪文を教える者や、教わって唱える者というのは、このアポロのような唱え方で、もちろん、何の効果もない。
アポロの力は悪の科学者に与えられたもので、自分には何の力もなく、最後は性能で劣る009達に倒されてしまう。
アポロ達は、神として、堕落した人類を罰し、新しい世界を作ろうとした。
ここですでに神でない。
分かるだろうか?
神であるというなら、その駄目な人類も自分が作ったものだ。
同じく、我々が「吾神なり」と言うなら、給料が安かったり、彼氏彼女がいなかったり、腰が痛かったり(笑)、嫌な上司に使われるのも、全て、自分でやっていることだ。
だから、「この世界は自分が作った」という自覚と共に、「吾神なり」と言うなら、それは神の言葉である。
それが分かれば、現状は少しも辛くないだろう。
そして、唱えているうちに、世界を作ろうとしなくなる。
それは、子供が大きくなるにつれて、一人遊びをしなくなるのに似ている。
大きくなれば、もっと面白いことを始めるのである。

AIアート521
「少し光を」
Kay
(吸気)
「私はこれではない」(呼気)
「私は誰か?」(吸気)
「私は神である」(呼吸停止)
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)高次意識界へのガイドツアー
(2)ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻
(3)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(4)世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論
(5)天使の愛
だが、その動画の使い方なら、全く効果はない。
この呪文は確かに本物で、凄まじく強力であるが、使い方にコツがある。
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ミュートス・サイボーグ達は、サイボーグに改造される時に、改造前の記憶を消され、自分を神であると信じるよう洗脳されていた。
ミュートス・サイボーグ達のリーダーであるアポロは、拳を握り、決め顔で高らかに言う。
「われは神」
つまり、「吾神なり」の呪文を教える者や、教わって唱える者というのは、このアポロのような唱え方で、もちろん、何の効果もない。
アポロの力は悪の科学者に与えられたもので、自分には何の力もなく、最後は性能で劣る009達に倒されてしまう。
アポロ達は、神として、堕落した人類を罰し、新しい世界を作ろうとした。
ここですでに神でない。
分かるだろうか?
神であるというなら、その駄目な人類も自分が作ったものだ。
同じく、我々が「吾神なり」と言うなら、給料が安かったり、彼氏彼女がいなかったり、腰が痛かったり(笑)、嫌な上司に使われるのも、全て、自分でやっていることだ。
だから、「この世界は自分が作った」という自覚と共に、「吾神なり」と言うなら、それは神の言葉である。
それが分かれば、現状は少しも辛くないだろう。
そして、唱えているうちに、世界を作ろうとしなくなる。
それは、子供が大きくなるにつれて、一人遊びをしなくなるのに似ている。
大きくなれば、もっと面白いことを始めるのである。

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