イエス・キリストは言ったものだ。
「山に向かって、立ち上がって海に入れと命じ、命じた通りになると信じて疑わなかったらそうなる」
だが、イエスは、どうすれば信じて疑わないようになれるか語っていないことになっている。そこが肝心なのに。
イエスには十二使徒と呼ばれる12人の高弟がいたが、イエスはその12人を平等に扱っていたわけではなく、特にヨハネがお気に入りだった。
福音書には「ヨハネはイエスの胸に寄り添って」などといった記述があったり、なんとなく、ヨハネが美少年であったことを思わせる。
いずれにせよ、イエスは弟子たちを平等に扱っていなかった。
それに比べ、私の知り合いは、こんなことを言ってたものだ。
「俺の大学時代のラグビー部のコーチは平等だった。皆を平等にゴミ扱いした」
すると、平等には扱わないながら、誰もゴミ扱いしなかったイエスの方がマシだ(笑)。
そうだ。イエスは誰も差別しなかったが、決して、人を平等には扱わなかった。
本当に重要な教えは、隠れて教えた。
馬鹿に重要なことを教えて誤解されたら大変だからね。
本当に重要なことは、馬鹿には理解出来ないものなのだ。
山が海に入ることについて、有名な牧師でも理解出来ず、困った解釈を言う者も多い。
例えば、ロバート・シュラーは優れた人ではあったが、この件について、
「イエスは、どれくらい時間がかかるとは言わなかった」
と、「おお、なるほど!」と言ってもらえそうなことを言った。
分からないなら分からないって言えば良いものを・・・
そこにいくと、道元は、『正法眼蔵』のどこだったか忘れたが、山が歩いて海に入ることについて書いている。
で、どうすれば、そうなると書いていたと思う?
私もよく覚えていないが、つまるところ、「そんなモンなんだ」だったと思う。
つまり、「山が歩いて海に入った?それが何か?」である。
AIアート519
「黄昏時」
Kay
夢の中でなら、「山が歩いて海に入る」ことも、「あって当たり前」とまでは言えなくても「あってもいいんじゃないか」くらいには思えるだろう。
そして、我々が現実と思っているものも夢と変わらないのだ。
ラマナ・マハルシは、
「夢は短く、目覚めは長い。その他に何の違いもない」
と言ったが、その長さの区別も怪しいものだ。
確かに、マハルシに対し、夢と現実は違うと言い張る者もいたと思うが、マハルシはそんな者を論破しようとはしなかった。
禅の公安の中に、旗が風になびくのは、風が動いているのか旗が動いているのかという議論がある。
それを大真面目に討論し合い、相手を論破しようとしているのを見ても、関わる気は起らない。
マハルシも、それと同じだったのだろう。
そんなわけで、山を歩かせて海に入れたいなら、この世界が夢であると見なすことだ。
そして、信じて疑わないようになれば、全て思い通りである。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代訳 正法眼蔵
(2)ラマナ・マハルシの教え
(3)アイ・アム・ザット 私は在る
(4)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(5)江戸川乱歩作品集 110作品収録+関連作品
(6)千夜一夜物語 巻1の1
「山に向かって、立ち上がって海に入れと命じ、命じた通りになると信じて疑わなかったらそうなる」
だが、イエスは、どうすれば信じて疑わないようになれるか語っていないことになっている。そこが肝心なのに。
イエスには十二使徒と呼ばれる12人の高弟がいたが、イエスはその12人を平等に扱っていたわけではなく、特にヨハネがお気に入りだった。
福音書には「ヨハネはイエスの胸に寄り添って」などといった記述があったり、なんとなく、ヨハネが美少年であったことを思わせる。
いずれにせよ、イエスは弟子たちを平等に扱っていなかった。
それに比べ、私の知り合いは、こんなことを言ってたものだ。
「俺の大学時代のラグビー部のコーチは平等だった。皆を平等にゴミ扱いした」
すると、平等には扱わないながら、誰もゴミ扱いしなかったイエスの方がマシだ(笑)。
そうだ。イエスは誰も差別しなかったが、決して、人を平等には扱わなかった。
本当に重要な教えは、隠れて教えた。
馬鹿に重要なことを教えて誤解されたら大変だからね。
本当に重要なことは、馬鹿には理解出来ないものなのだ。
山が海に入ることについて、有名な牧師でも理解出来ず、困った解釈を言う者も多い。
例えば、ロバート・シュラーは優れた人ではあったが、この件について、
「イエスは、どれくらい時間がかかるとは言わなかった」
と、「おお、なるほど!」と言ってもらえそうなことを言った。
分からないなら分からないって言えば良いものを・・・
そこにいくと、道元は、『正法眼蔵』のどこだったか忘れたが、山が歩いて海に入ることについて書いている。
で、どうすれば、そうなると書いていたと思う?
私もよく覚えていないが、つまるところ、「そんなモンなんだ」だったと思う。
つまり、「山が歩いて海に入った?それが何か?」である。
AIアート519
「黄昏時」
Kay
夢の中でなら、「山が歩いて海に入る」ことも、「あって当たり前」とまでは言えなくても「あってもいいんじゃないか」くらいには思えるだろう。
そして、我々が現実と思っているものも夢と変わらないのだ。
ラマナ・マハルシは、
「夢は短く、目覚めは長い。その他に何の違いもない」
と言ったが、その長さの区別も怪しいものだ。
確かに、マハルシに対し、夢と現実は違うと言い張る者もいたと思うが、マハルシはそんな者を論破しようとはしなかった。
禅の公安の中に、旗が風になびくのは、風が動いているのか旗が動いているのかという議論がある。
それを大真面目に討論し合い、相手を論破しようとしているのを見ても、関わる気は起らない。
マハルシも、それと同じだったのだろう。
そんなわけで、山を歩かせて海に入れたいなら、この世界が夢であると見なすことだ。
そして、信じて疑わないようになれば、全て思い通りである。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代訳 正法眼蔵
(2)ラマナ・マハルシの教え
(3)アイ・アム・ザット 私は在る
(4)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(5)江戸川乱歩作品集 110作品収録+関連作品
(6)千夜一夜物語 巻1の1
人気ランキング参加中です |