この2000年ほどは、日本人に与えられた最も高い指示は「無になれ」で、一般的には「無心になれ」であり、「無私になれ」「無我になれ」といったバリエーションがあるが、どれも同じである。
有名な事業家の稲盛和夫さんが、判断をする際、「私心なきか」を基準にしていたという話が知られていて、これが非常に高度なことのように感じるが、実は、元々日本では、これが当たり前の教えなのである。
で、誰がそう日本人に指示したのかというと、よくは分からないが、それは人間を超えた高度な存在で、神とか善なる宇宙人といったレベルであると思われる。

ただ、上の稲盛和夫さんの「私心なきか」は、インドで誰でも知っている『ラーマーヤナ(ラーマの模範)』という物語の最後で、英雄ラーマが、宿敵である魔王に教わる教えだ。インドの美しい伝統では、戦いで勝った者は負けた者に教えを請わないといけないのである。
稲森さんは、もしかしたら、このインドのお話に学んだのかもしれないが、日本にこそ、この教えはあったのである。
『古事記』で、イザナギ神がイザナミ神と決別し、服や飾りを1つずつ全部取り去り、海に入って身体の汚れを1つずつ落としていくのは、思考という穢れを消していくことを示しており、完全にクリーンになった・・・つまり、無心、無私、無我になった時、両目と鼻から、3柱の貴い神が生まれたのである。

ところが、日本人が駄目になってしまい、「無になれ」の教えが理解出来なくなってしまった。
世界一清らかだった日本人の心が曇り、日本が、特に支配層が、そして、庶民が乱れに乱れてしまった。
そして、今の日本人に対する(神か宇宙人の)教えの第一は「良い人になれ」になってしまった。
これは、ヨーロッパ等で教えられていた、一段低い教えである。
つまり、神による日本人に対する特別視は終わり、他国と同じ扱いになってしまったのである。
有名なファティマでの聖母マリアの出現で、マリアが子供達に教えたことが「良い子でいなさい」だった。
せっかく、世界一の精神大国であった日本が、ヨーロッパに並んでしまったのである。
まあ、ヨーロッパやアメリカはさらに落ちようとしているのだが・・・

それで、これからの世の中、良い人でなければ生きていられなくなる。
自己中心的な人間、それで嫌われる人間はもう駄目である。
これまでは、自分勝手な行動を率先して行う人間がいい思いをしていたが、これからはそんな下種は本当に駄目になるのだ。
神や宇宙人は、日本人は無になることは無理でも、良い人くらいにはなれると思っているのだろうか?
それは疑問だが、それが出来なければ、当たり前の国に落ちてしまった日本は最後である。

お城が見えるバルコニー
AIアート508
「お城が見えるバルコニー」
Kay


とはいえ、あなたは日本人であって欲しいのだ。
つまり、無になって欲しい。
簡単に言えば、思考を消して欲しい。
何度も取り上げるが、矢追純一さんが言ったように、「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」のようにやって欲しい。
頭が悪くない人間などいないのだが、凡人は皆、自分は頭が良いと思っているのである。
駄馬ならぬ駄民に落ちてしまった日本人は、まさに、自分は頭が良いと思って思考を止められないし、教育やマスメディアは日本人に思考を崇拝するようそそのかしている。
だが、深呼吸を忘れなければ日本人でいられ、思考を消していけ、無に進むことが出来る。
無になれば無敵であるが、まだ無敵でないなら、単に深呼吸が足りないだけである。

◆当記事に関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラーマーヤナ(上) (レグルス文庫)
(2)ワイド版 マンガ日本の古典1-古事記
(3)新装版 ヤオイズム あなたは本当に生きているか
(4)聖母マリアの秘密: 今も続くメジュゴリエでの奇跡
(5)弓と禅
  
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