修行の極意は、ただ淡々と素振りを繰り返すことで、野球の素振りのように単純でないものもあるが、とにかく淡々と何かを長い時間繰り返し行うことであることは確かだと思う。
名人プログラマーだって、いつも凄いプログラムを書いているわけではなく、普通のプログラマーでも書けるようなプログラムを長時間書いているか、修行時代であれば、優れたプログラムを延々と長時間書き写したり見たりしていたのだと思う。

全体としては面白いかもしれないが(私の主観的には)下らないと思える漫画『カラテ地獄変 牙』の中で、「空手に王道なし。あるのは数千数万の繰り返しのみ」というのは、世界中で崇められるような名著にも書かれていない重要なことだ。

では、なんで名人達人は、そんな淡々とした繰り返しを行えるのかというと、そこは分からない。いや、考えても分からないという意味だ。
それなら、考えなければ分かるのかというと、そうかもしれない。
昔、北野武さんが、一晩中バットを振っている野球の超一流バッターについて「あいつら好きなだけなんだぜ」と断言調で言っていたのは、単なる思いつきかもしれないが、それを私が忘れずに憶えていることで真理かもしれない。そんなふうに、たまたま聞き、それほど感動したわけでもなく、憶える気もなかったが、なぜか忘れずに憶えていることは真理であることが多い。
とはいえ、無論、「ただ好き」だけではない。
しかし、「素振りして、いい成績出して、お金も名誉も得てやる」という欲望だけではないし、むしろ、欲望は少ないと思える。

徹底した素振りを行ったのは小泉太志命(こいずみたいしめい)で、1日(というか一晩)3万3千回真剣を振ったというが(まあ、この回数は現実的には不可能だが)、これは天皇を襲う邪気を祓うためであったらしい。
これは「好き」というのもおかしいが、真に純粋な「好き」であるし、欲望ではないが、小欲ではなく大欲であると言えば欲と言えなくもない。

アインシュタインは、自分の物理学は単なる趣味だと言ったことがあり、その趣味を何十年と続けてきただけだと言う。
『葬送のフリーレン』という、今人気の漫画・アニメがあるが、主人公のエルフ(妖精の一種)フリーレンは、何百年も魔法書を収集する旅をしているが、それをする理由は一貫して「趣味だから」と言う。
いずれも、世間一般で言う趣味とはかなり違うような気もするが、やはり趣味なのであろう。

目覚め
AIアート478
「目覚め」
Kay


ところが、「趣味」という言葉を辞書で見ると面白い。

(1)仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「—は読書です」「—と実益を兼ねる」「多—」
(2)どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「—の悪い飾り付け」「少女—」
(3)物事のもっている味わい。おもむき。情趣。

どういうわけか、日本では(1)の「ホビー」としての「趣味」が一般的になっているが、英語では「ホビー」はあまり使われない。
では英語でどう言うかというと、適切な単語はない。
日本で「趣味」を「ホビー」としたのは、日本人を駄目な人種にするための外国組織の陰謀・策略である。
あなたも、「趣味」を「ホビー」の意味で使ってはならない。
(2)や(3)の意味で使うのだ。
アインシュタインやフリーレンのように。
一流バッターの素振りは趣味であるがホビーではない。








  
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