およそ哲学に関心がない人でも、ニーチェ(独。1844~1900)の名くらいは知っていると思う。
また、エマーソン(米。1803~1882)自体は知らなくても、知識人が人類の知恵者の代表としてエマーソンの名やその言葉を上げるのを見たことがあるかもしれない。
彼らは本当に、世界や人間についてよく知っていたし、普通の人が見えないことについてもよく分かっていた。
関係性のない2人であるが、彼らは共に、人間のある性質を称賛していた。
それは「無頓着」だ。
もっと簡単に言えば「気にしないこと」である。
経済的な不安のない子供が、誰にも媚びへつらわないようなものである。
これは、気まぐれにつながる。何も気にしないので、きまぐれに・・・つまり、思った通りに話し、行動する。

無頓着、気まぐれだと、欲望のままに悪いことをしたり、怠惰になったりすると思う者が多いと思うが、そんなふうに悪くなる人間は、本当は無頓着ではなく、何かに縛られているのである。
ニーチェは言ったものだ。
運命が尊大(威張っていること)にやって来たら、自分はもっと尊大に迎える。
すると、運命は従うのだ。
それが出来るには、本当に無頓着、本当に気まぐれでなくては駄目だ。

日本語的には「こだわりがない」「囚われがない」と言う場合が多いが、無頓着、気まぐれには強さが必要だ。
そして、最も無頓着な存在が幼児である。
幼児は誰にも従わない。周りが幼児に従うのだ。

ニーチェの、そんな幼児のような態度を示す言葉を「放恣(ほうし)」と訳した人もいたが、良いと思う。
放恣とは、勝手気ままで節度がないことだ。

気まぐれな風
AIアート449
「気まぐれな風」
Kay


細かく説明すべきではないと思う。
高貴なことを、言葉で聞いて思考で理解しようとしたら必ず間違うからだ。
要は、普通の人が弱い存在だと思い込んでいる、親の完全な庇護下にある子供や幼児が最強なのである。
反論がある人でも、心の奥では、魂が、それが真理であると言っているのが分かるのである。
関心があれば、エマーソンの『自己信頼』を読むと良いと思う。








  
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