私は、最も優れた聖典は、『私は誰か?』であると思う。
これは、ラマナ・マハルシとの問答集であり、問答の数は28で、わずか十数ページである。
この問答は、マハルシが21歳くらいの時のものだが、当時、マハルシは沈黙の行を行っており、話すことが出来なかったので、質問を受けたマハルシは、答を砂に書き、それを質問者が書き写した。
後に、マハルシ自身が改定を行った。
書籍としては、『ラマナ・マハルシの教え』(新泉社)、『あるがままに』(ナチュラルスピリット)などに収録されてる。
その中で、最も重要と私が思うのは18番目の問答だ。

質問
帰依者(信仰者。霊的な行の実践者)のなかで最もすぐれているのはどのような人でしょうか?

解答
神である真我に自分自身をゆだねきった人が、最もすぐれた帰依者であ
る。自分自身を神にゆだねるとは、真我という想念以外のいかなる想念も
起こることを許さず、ひたすら真我の内にとどまっていることである。
どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。神の至高の力がすべ
てのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をま
かせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろう
か? われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこ
にあろう。荷物をおろして安心しなさい。

この「真我」とは、文字通り真の自分で、マハルシが言うように神である。
別の言い方をすれば、「内なる神」「魂」である。
インドでは、大神をブラフマン、人間の本質をアートマンと言う。
ルドルフ・シュタイナーは、
「神を大海にたとえるなら、人間の本質は大海の一滴の水で、質としては同じだが大きさが違う」
と述べているが、インドのヴェーダ哲学に哲学において、ブラフマンとアートマンは同一で等価である。
思考においては、ブラフマンとアートマンには区別があるが、思考を消せば違いはない。
ここらを、一般の人にも分かり易く、一滴の水も大海に溶け込めば、大海全体に広がるという言い方がよくなされた。
黒住宗忠は、人間の霊は天照大神の分霊(ぶんれい。わけみたま)であると言い、つまるところ、人と神は一体であると教えた。

草と枕
AIアート431
「草と枕」
Kay


実践的には、
「私は神である真我に一切をゆだね、私は何も考えない」
とすれば良い。
実際にその通りにし、思考を消せば、不可能はなく全知全能である。
思考を消し易くするためには、深呼吸をすれば良く、また、「私は神である真我に一切をゆだね、私は何も考えない」のような言葉を自分用にアレンジして唱えるのも良いと思う。
例えば、簡単には「私は完璧な潜在意識に一切をゆだね、私は何も考えない」などである。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ