宗教は、それが出来た時の、その場所の文化が色濃く反映されているのだから、異なる時代あるいは場所では適合しない部分があって当然である。
例えば、キリスト教では神を父と言うが、「なぜ母じゃないの?」という疑問は、特に子供が持つのは当たり前である。
しかし、子供が「なぜ母じゃないの?」と言ったら怒られたり、「そんなことを言うな」と押さえつけられるだろう。
だが、アメリカの昨今の行き過ぎたLGBT思想で言えば、「神が父というのはおかしい」という話がありそうなものだが、さすがに宗教に異議を唱えることは難しいのだろう。しかし、いずれ、そんな話も起こるかもしれない。
ラマナ・マハルシが教えた呼吸法に、こんなものがある。
息を吐きながら「私はこれではない」と思う。
息を吸いながら「私は誰か?」と思う。
呼吸を停止して「私は彼である」と思う。
こう言われて、「最後の彼って何だ?」という疑問を持つのは当然である。
私はよくは知らないが、おそらく、当時のインドで、神という言葉をみだりに使うことが不遜だと思われていて、神のことを彼と言い換える風習があったのだと思う。
ここでも、「なぜ彼なんだ。彼女じゃないんだ」と思うのは当然だが、そう考えることが許されなかったのだろう。
異論はあるが、日本では一番の神様はアマテラスオオミカミという女性神であるから、日本は進んでいたというか柔軟であったわけである。
現代では、「私は彼である」は「私は神である」と言うしかないと思う。
だが、「私」というのは自我であり、これは神ではない。
私という思考が消えたところに神があるのだから、「私は神である」はおかしい。
だが、真の私という意味では「私は神である」は正しい。
ここらは、この呼吸法を続けるうちに解消されることであり、理屈でどうこう言うべきではないだろう。
実際、体験的には、この呼吸法を続けると、かなりの神秘現象が起こる。
よって、何も考えず、淡々と行うなら良い修行である。
行う時は、「私は彼である」は「私は神である」とすると良いと思う。
マハルシは「神の至高の力が全てを動かす。だから、神に全てをまかせて安心しなさい」と教えたが、これが究極の教えであると思う。
そして、面白いことに、引き寄せの最終形は、これに近付きつつある。
だが、マハルシは上のように言ったが、問題を隠し立てせずに言うと、神にまかせてしまえば幸せにしてくれるのか、お金が儲かるのか、素敵な彼氏や彼女が出来るのか、健康になれるのか・・・といったことだ。
これに関し、マハルシは何も言っていない。
そして、マハルシも荘子も、実のところ、「不幸になっても、それが神の意志だから文句を言うな」と言っているように思えるのだ。
荘子などは、貧困に陥っても、重病になっても、それどころか、虫に生まれ変わっても、それが天の意志であり、人間ごときが文句を言う資格はないと、かなりはっきり言っている。
それは困る(笑)。
ただし、荘子の時代の庶民はひどく虐げられており、「庶民でも良い思いが出来る」と言い難かった事情があるという話もある。
つまり、神に(荘子の場合は「道」だが)まかせれば幸福になれると庶民に言っても理解されないのである。
だが、現代では、神にまかせれば幸福になれると言って良い。
ところが、最後の問題が残っており、それは神の定義である。
宗教の神では、さすがに偏見が多く、いろいろ不都合があるかもしれない。
魂が神だと言って納得出来れば、それが良いと思うが、「魂は神の一部だ」と言う者がおり、まあ、それも正しいのだが、そうはっきりした話ではない。
それで、『エイリアン・インタビュー』で、宇宙人エアルが言ったことが現代的に良いと思えるのである。
それは、
「魂は全知全能で、あなたがたの概念で最も近いのは神である」
である。
あるいは、「魂は神のようなもの」で納得出来るなら、それで良い。
魂の力を出す方法をエアルは語っていないが、それは、自分が魂であることが分からない「私」という自我が消えれば良いのであり、それは思考を消すことなのだ。
こんなシンプルなことを、なぜエアルが言わなかったのか疑問であるが、マチルダが理解出来なかったのだと思う。
そして、ラマナ・マハルシは、思考を消し私を消すには「私は誰か?」と問い続けろと言ったが、それは難しいやり方だ。
だが、深呼吸をすれば良いだけである。
深呼吸では、段階的に思考が消えていき、それに応じて魂の力も発揮されるようになる。
そして、上で述べたように、マハルシや荘子は明言しなかったが、幸福になれる。

AIアート422
「ふたりはひとり」
Kay
上にあげたマハルシの呼吸法でも良いし(ただし「彼」を「神」に変える)、「よかった・ありがとう呼吸」「神の圧力呼吸」でも良い。
面倒なら、単に深呼吸をするだけでも良い。
引き寄せテクニックは不要だし、本を読む必要もない。
例えば、キリスト教では神を父と言うが、「なぜ母じゃないの?」という疑問は、特に子供が持つのは当たり前である。
しかし、子供が「なぜ母じゃないの?」と言ったら怒られたり、「そんなことを言うな」と押さえつけられるだろう。
だが、アメリカの昨今の行き過ぎたLGBT思想で言えば、「神が父というのはおかしい」という話がありそうなものだが、さすがに宗教に異議を唱えることは難しいのだろう。しかし、いずれ、そんな話も起こるかもしれない。
ラマナ・マハルシが教えた呼吸法に、こんなものがある。
息を吐きながら「私はこれではない」と思う。
息を吸いながら「私は誰か?」と思う。
呼吸を停止して「私は彼である」と思う。
こう言われて、「最後の彼って何だ?」という疑問を持つのは当然である。
私はよくは知らないが、おそらく、当時のインドで、神という言葉をみだりに使うことが不遜だと思われていて、神のことを彼と言い換える風習があったのだと思う。
ここでも、「なぜ彼なんだ。彼女じゃないんだ」と思うのは当然だが、そう考えることが許されなかったのだろう。
異論はあるが、日本では一番の神様はアマテラスオオミカミという女性神であるから、日本は進んでいたというか柔軟であったわけである。
現代では、「私は彼である」は「私は神である」と言うしかないと思う。
だが、「私」というのは自我であり、これは神ではない。
私という思考が消えたところに神があるのだから、「私は神である」はおかしい。
だが、真の私という意味では「私は神である」は正しい。
ここらは、この呼吸法を続けるうちに解消されることであり、理屈でどうこう言うべきではないだろう。
実際、体験的には、この呼吸法を続けると、かなりの神秘現象が起こる。
よって、何も考えず、淡々と行うなら良い修行である。
行う時は、「私は彼である」は「私は神である」とすると良いと思う。
マハルシは「神の至高の力が全てを動かす。だから、神に全てをまかせて安心しなさい」と教えたが、これが究極の教えであると思う。
そして、面白いことに、引き寄せの最終形は、これに近付きつつある。
だが、マハルシは上のように言ったが、問題を隠し立てせずに言うと、神にまかせてしまえば幸せにしてくれるのか、お金が儲かるのか、素敵な彼氏や彼女が出来るのか、健康になれるのか・・・といったことだ。
これに関し、マハルシは何も言っていない。
そして、マハルシも荘子も、実のところ、「不幸になっても、それが神の意志だから文句を言うな」と言っているように思えるのだ。
荘子などは、貧困に陥っても、重病になっても、それどころか、虫に生まれ変わっても、それが天の意志であり、人間ごときが文句を言う資格はないと、かなりはっきり言っている。
それは困る(笑)。
ただし、荘子の時代の庶民はひどく虐げられており、「庶民でも良い思いが出来る」と言い難かった事情があるという話もある。
つまり、神に(荘子の場合は「道」だが)まかせれば幸福になれると庶民に言っても理解されないのである。
だが、現代では、神にまかせれば幸福になれると言って良い。
ところが、最後の問題が残っており、それは神の定義である。
宗教の神では、さすがに偏見が多く、いろいろ不都合があるかもしれない。
魂が神だと言って納得出来れば、それが良いと思うが、「魂は神の一部だ」と言う者がおり、まあ、それも正しいのだが、そうはっきりした話ではない。
それで、『エイリアン・インタビュー』で、宇宙人エアルが言ったことが現代的に良いと思えるのである。
それは、
「魂は全知全能で、あなたがたの概念で最も近いのは神である」
である。
あるいは、「魂は神のようなもの」で納得出来るなら、それで良い。
魂の力を出す方法をエアルは語っていないが、それは、自分が魂であることが分からない「私」という自我が消えれば良いのであり、それは思考を消すことなのだ。
こんなシンプルなことを、なぜエアルが言わなかったのか疑問であるが、マチルダが理解出来なかったのだと思う。
そして、ラマナ・マハルシは、思考を消し私を消すには「私は誰か?」と問い続けろと言ったが、それは難しいやり方だ。
だが、深呼吸をすれば良いだけである。
深呼吸では、段階的に思考が消えていき、それに応じて魂の力も発揮されるようになる。
そして、上で述べたように、マハルシや荘子は明言しなかったが、幸福になれる。

AIアート422
「ふたりはひとり」
Kay
上にあげたマハルシの呼吸法でも良いし(ただし「彼」を「神」に変える)、「よかった・ありがとう呼吸」「神の圧力呼吸」でも良い。
面倒なら、単に深呼吸をするだけでも良い。
引き寄せテクニックは不要だし、本を読む必要もない。
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