私は子供の時から、素振りというか素振りめいた話を聞くとときめく。
素振りという言葉は、元々は野球のバッティングの素振りのことだが、「一度一度は軽い基本的で重要なことを淡々と繰り返すこと」全般を素振りと呼んでいる。
成功した人というのは、日常の中で、出来るだけ多く素振りをした人であると確信している。
雰囲気で言えば「暇さえあれば素振りをしている」といった感じだ。
暇さえあれば素振りをする者が勝つのである。

私が決定的に素振りが好きになったのは、江戸時代のある町人と武士の話からだ。
修行を積み、人を見る眼力がある武士が1人の町人に目を留める。
その立ち居振る舞い、ただ者ではないと見た武士は、その町人に「お前は何者か?」と問うが、その町人は、自分はただの町人だと言う。
だが、その町人は、子供の頃からの臆病を治そうと思って、毎日夕刻、必ず墓場に行くことにしていた。
墓場に行くというのは変わった素振りだが、おそらく、よほどのことがない限り、1年365日実施したのだと思う。

割と最近では、こんな話が気に入っている。
大東流合気柔術の達人である佐川幸義は四股(佐川流四股)を重視し、自ら毎日数千回と踏んでいたらしいが、新しく入った弟子が、寝食を忘れて四股を踏んだ。すると、佐川以外の誰もその弟子を倒せなくなったという。

七田眞さんの本に書かれた有名な話では、あるホームレスの男性が1日中「神様の奇跡が起こる」と唱えて1億円の宝くじを2回当てた話があるが、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』の中では、ある売れない女優が、暇さえあれば「成功、富、歓喜」と唱え、やがて成功した話が書かれている。
これらの話を「口ぐせは効果がある」という言い方をする者もいるが、口ぐせは1つの形に過ぎず、根本的に重要なことは、やはり素振りである。

素振りの成功例は無限にあるし、私もいくらでも上げられる。
それはそうで、素振り以外で成功することは出来ないのだからだ。
うまくいった人に問えば、必ず素振りの話が聞ける。
たとえば、3年ほど前、私が、22歳のまだ少女のように可愛いがプロのイラストレーターの個展に行った時、彼女に聞いたら、やはり、子供の時から、いつでも絵を描いていたという。
イラストレーターになりたい人も多いと思うが、こうでないと・・・つまり、絵における素振りを多くしないとイラストレーターになれない。

大人の純心
AIアート406
「大人の純心」
Kay


そして、素振りの王は、やはり深呼吸である。
1回1回の深呼吸があまり重いと続かないので、やはり素振りという感じで行う。
そして、呼吸は常にしているので、出来るだけ多くの時間で、1回1回の呼吸の質を上げるのである。
「よかった・ありがとう呼吸」や「ナ・ダーム呼吸」がやり易いが、阿波研造や松木草垣の呼吸法を基にした「神の圧力呼吸」をやれば全知全能に近づくはずである。

神の素振りとでもいうものを上げておく。
最近よく話題にした『ヒマラヤ聖者の生活探求』のマスター(大師)のものである。
それは、一言で言えば、『バガヴァッド・ギーター』を読むことである。
ラマナ・マハルシに対し、ある人が、「バガヴァッド・ギーターを時々読むのは良いことですか?」と尋ねたら、マハルシは「いつもが良い」と答えた。
ところで、ヒマラヤのマスター達の読み方はちょっと違う。
1日かけて数行を読むこともある。
私はこれを知り、これがマスターになる秘伝だと思った。








  
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