日本には言霊(ことだま)という言葉、および考え方があるが、西洋でも言葉には特有のバイブレーション(波動)があるという考え方がある。
それを科学的に証明しようとした人もいくらかいるが、それがかえって人々の不信を呼ぶ結果になった場合が多いようにも思える。
よって、これは各自で確認しなければならず、人に教えてもらうようなことではないかもしれない。
昨日も取り上げた、ベアード.T.スポールディングのロングセラー『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、イエス・キリストは、最も価値が高い本は聖書であると言うが、その理由が面白く、それは、聖書が神という言葉が最も多く使われているからである。
つまり、上で述べたことで言えば、神という言葉は最もバイブレーションが高く、その高さは他の言葉のバイブレーションを隔絶するからである。

それで、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中でイエスが、「他のことは忘れて良い」と言った教えは、「神という言葉をなるべく多く使うこと」だった。
ところが後に、スポールディングは、「神を呪文にしてはならない」と言った。
神という言葉に最大の力があり、それは声に出して言っても心で言っても効果は同じであるが、何度も言ってはならず一度言えば良いと言う。
これは人々を混乱させる。
そんな良い言葉なら、「神、神、・・・」と繰り返せば良さそうなものだからだ。
ところで、それと同じようなことを聞いた覚えがある。
ラマナ・マハルシが、唯一持って良い想念は「私は誰か?」だと言ったが、この「私は誰か?」を呪文にしてはならないと言う。
ところが、ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」と常に問い続けろと言う。
大変な矛盾である。
ここらは、翻訳とか、言ったニュアンスであるとかの問題もあり、自分で解決するしかない。
それで私は解決したのだが、なるほど、分かってしまえば確かに説明し難い。

実際は、神という言葉は繰り返して良いし、繰り返す方が良い。
しかし、それは、たとえばこんな感じである。
日本にはない習慣だし、電子メールからLINEのようなチャット型SNSの時代になり、西洋でもやらなくなったが、西洋では紙の手紙の時代は、文面を「親愛なるメアリー」のような言葉で始めた。
この「親愛なる」は、このように手紙では常に使われる言葉だが、単に形式として使ってはならない。
また、西洋では、夫婦はいつまでも「愛している」と言うものらしいが、これも、言葉だけで言って良いものではない。
いや、「おはよう」といった挨拶にしたって、本来は単なる習慣で言うものではない。
そんな時、世間一般には「では、心を込めて、親愛なるとか、愛しているとか、おはようと、言ったり書いたりすれば良いのだな」と言うかもしれないが、それが全く逆で、心がこもったものほど駄目なのである。ここが現代人には難しいところだ。
心が全くない状態の「愛してる」や「おはよう」が良いのである。
だが、この理由を言葉で説明し、頭で理解しようとすると混乱が深まるばかりだ。
そこで、息を止めて「神」と言ってみると良い。
息が止まっている時は心が消えているからだ。
すると、我々はただちに神のバイブレーションを発する。
尚、この「息を止める」のは、息を吸ってから吐くのをしばらく待つ状態でなければならず、水に潜る時のように、喉の気管を喉の筋肉で締めるような息の止め方をしてはならない。
だから、私がいつも教える「神の圧力呼吸」で息を止めているような状態で唱えると良い。

静かな庭
AIアート402
「静かな庭」
Kay


尚、確かに、英語の神(GOD)と日本語の神(カミ)は異なる。
根本的には一神教の絶対神と八百万の神々の違いだ。
しかし、それは頭での理屈のことで、思考のない状態では、ゴッドもカミも同じである。
それは、人の心を超えたものであり、心の上位に置くべきものである。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中に登場するイギリス人のローソンは「神の他に何もない。ただ神だけがある(There is nothing,but God)」と唱えることで奇跡を起こせた。
神とはそのようなものである。








  
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