「プライドが傷つけられた」とか「面子を潰された」などと言っているうちは引き寄せは出来ない。
アニメなどでチンピラやそれと同等の人間が、「きさま、俺を馬鹿にしてるのか?」と怒りに顔を歪める場面がよくあるが、そんなことを言うのは下等な人間で、下等な人間が良い引き寄せを行うなんて話は全くない。
「そんなの(プライドが傷付く等)聖人君子でもない限り、誰でもあるんじゃないのか?」とか、「僕は修行が足りないので、やっぱりプライドが傷付くことがある」などと言いたいかもしれないが、これは人格の問題ではなく、偏見とか洗脳の問題である。
「自分を誇りに思う」とか「君を誇りに思っている」といったセリフもよく聞くような気がするが、その度、私は詐欺現場を見るような気がする。
実際、詐欺だ。
「剣士の誇りを忘れたか」とか「医者の誇りを忘れたのか」というのも無茶苦茶な話である。
持つべきは誇りではなく責任だ。奉仕すべき責任である。
それなしに誇りなんてものを持つから変な医者、変な政治家が多いのである。
『スタートレック』という映画の中で、カーク退任の後、宇宙船USSエンタープライズの船長を務めていたミスター・スポックは、ある重要な事件が起こった際、カークに「あなたが船長になって下さい」と言うが、カークは躊躇する様子を見せる。スポックの立場を気遣ったのだ。
しかし、スポックは言う。
「バルカン星人に面子というものはないのです」
なるほど、確かにバルカン星人は優秀である。
まあ、実際は、今の時代はまだ面子が必要な場合もある。
それは、自分が集団を代表している場合で、実際は自分の面子ではなく、集団の面子が重要な場合だ。
とはいえ、これも本当は面子の問題ではないのだが、集団を統率するための権威とか貫禄みたいなものが必要で、これが面子と結び付けられるのである。
だが、本当に尊敬されたり信頼される人間とは面子とかプライドのない人間だ。
「わが校の生徒であるという誇りを持って」だの「わが社の社員であるという誇りを忘れず」だのといった誇りは生ごみと同じである。
そんなもの持ってたら臭くて仕方がない。
そもそも、「わが校の誇り」と言う場合、それは自校が他校より優れているのだという差別思想から来ているが、差別主義者はIQが低いことが研究でも分かっていると思う。
だから、「わが校の誇りを持て」と言うのは「わが校の教師、生徒はIQが低くあるべき」と言っているようなものである。
「子供には自尊心を持たせてやらないといけない」とか言うが、子供に必要なものは安心である。
これは経済的なことではなく、自分の実体が聖なるエネルギーであると知ることで、俗な言い方をすれば「自分の居場所がある」と言うことだ。
聖なるエネルギーは貴重な存在であるからだ。

AIアート386
「今の輝き」
Kay
自分が無限の聖なるエネルギーである魂だということを悟るには、釈迦やイエスのように瞑想したり、イニシエーションを受けたり、ラマナ・マハルシのように「私は誰か?」と問う方法など、いろいろある。
だが、最も簡単な方法は深呼吸である。
そして、つまるところ、釈迦もイエスもラマナ・マハルシも深呼吸で悟りを開いたのだと思えるのだ。
なぜなら、深呼吸こそ、聖なるエネルギーを動かす方法であるからだ。
「よかった・ありがとう呼吸」や「神の圧力呼吸」、あるいは、自分のお気に入りの優れた呼吸法をたゆまず行うことで、プライドや面子を笑い飛ばし、さらには、それらを、遠くで吹き飛ばされる塵のように感じるようになるだろう。
それを解放と言うのである。
アニメなどでチンピラやそれと同等の人間が、「きさま、俺を馬鹿にしてるのか?」と怒りに顔を歪める場面がよくあるが、そんなことを言うのは下等な人間で、下等な人間が良い引き寄せを行うなんて話は全くない。
「そんなの(プライドが傷付く等)聖人君子でもない限り、誰でもあるんじゃないのか?」とか、「僕は修行が足りないので、やっぱりプライドが傷付くことがある」などと言いたいかもしれないが、これは人格の問題ではなく、偏見とか洗脳の問題である。
「自分を誇りに思う」とか「君を誇りに思っている」といったセリフもよく聞くような気がするが、その度、私は詐欺現場を見るような気がする。
実際、詐欺だ。
「剣士の誇りを忘れたか」とか「医者の誇りを忘れたのか」というのも無茶苦茶な話である。
持つべきは誇りではなく責任だ。奉仕すべき責任である。
それなしに誇りなんてものを持つから変な医者、変な政治家が多いのである。
『スタートレック』という映画の中で、カーク退任の後、宇宙船USSエンタープライズの船長を務めていたミスター・スポックは、ある重要な事件が起こった際、カークに「あなたが船長になって下さい」と言うが、カークは躊躇する様子を見せる。スポックの立場を気遣ったのだ。
しかし、スポックは言う。
「バルカン星人に面子というものはないのです」
なるほど、確かにバルカン星人は優秀である。
まあ、実際は、今の時代はまだ面子が必要な場合もある。
それは、自分が集団を代表している場合で、実際は自分の面子ではなく、集団の面子が重要な場合だ。
とはいえ、これも本当は面子の問題ではないのだが、集団を統率するための権威とか貫禄みたいなものが必要で、これが面子と結び付けられるのである。
だが、本当に尊敬されたり信頼される人間とは面子とかプライドのない人間だ。
「わが校の生徒であるという誇りを持って」だの「わが社の社員であるという誇りを忘れず」だのといった誇りは生ごみと同じである。
そんなもの持ってたら臭くて仕方がない。
そもそも、「わが校の誇り」と言う場合、それは自校が他校より優れているのだという差別思想から来ているが、差別主義者はIQが低いことが研究でも分かっていると思う。
だから、「わが校の誇りを持て」と言うのは「わが校の教師、生徒はIQが低くあるべき」と言っているようなものである。
「子供には自尊心を持たせてやらないといけない」とか言うが、子供に必要なものは安心である。
これは経済的なことではなく、自分の実体が聖なるエネルギーであると知ることで、俗な言い方をすれば「自分の居場所がある」と言うことだ。
聖なるエネルギーは貴重な存在であるからだ。

AIアート386
「今の輝き」
Kay
自分が無限の聖なるエネルギーである魂だということを悟るには、釈迦やイエスのように瞑想したり、イニシエーションを受けたり、ラマナ・マハルシのように「私は誰か?」と問う方法など、いろいろある。
だが、最も簡単な方法は深呼吸である。
そして、つまるところ、釈迦もイエスもラマナ・マハルシも深呼吸で悟りを開いたのだと思えるのだ。
なぜなら、深呼吸こそ、聖なるエネルギーを動かす方法であるからだ。
「よかった・ありがとう呼吸」や「神の圧力呼吸」、あるいは、自分のお気に入りの優れた呼吸法をたゆまず行うことで、プライドや面子を笑い飛ばし、さらには、それらを、遠くで吹き飛ばされる塵のように感じるようになるだろう。
それを解放と言うのである。
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今朝の内容は、凄まじい威力ありますよ。