人間が愚かさを見せたり、失敗する時というのは、頭で何かを考えている時だ。
もっと丁寧に言うなら、何かの記憶を強く意識している時・・・つまり、固定観念を持っている時の人間は愚かなのである。
西洋の考え方では、あらゆることを学べば、いかなる事態にも対処出来るので、知識は多いほど良い。
だが、いくら知識を持ったところで、人間は極めてわずかなことしか学べず、特に、異なる文化や文明が支配する場所へ行けば、自分の知識などゼロに近いことになる場合もある。
これまでの社会で有能と言われた人が、ITが急速に進む中で従来の(ITがない時代の)記憶に基づいたやり方をしようとしたら、途端に無能な馬鹿になってしまう。これはよく見ることである。

ブルース・リーなどの格闘技スターが映画の中では、大勢の悪者を空手などの格闘技で見事に倒すが、実際の戦いではそんなことにはならない。
悪者が正々堂々、ヒーローに合わせて格闘技で真面目に戦ってくれるはずがない。
当然、現実の戦いでは、悪者はありとあらゆる、時によっては想像も出来ない卑怯な手を使って、間抜けに格闘技で戦おうとするヒーローを簡単にやっつけるだろう。
ある喧嘩名人は、喧嘩の相手が格闘技をやっていることが分かったら「勝った」と思うらしいが、それはよく分かる。
喧嘩も強かった世界的空手家の大山倍達は、空手が最強の格闘技であると言ったが、それに納得しない人は固定観念がある。
大山は「空手が地上最強なのは、目つぶしと金的攻撃があるからだ」と言ったらしいが、それを聞いたら、誰でもびっくりする。
というのは、目つぶしや金的攻撃は、格闘技ではやってはいけないものだという固定観念があるからだ。
大山の言う格闘技とは、スポーツ格闘技ではなく、早い話が喧嘩のことである。

大山倍達の本は全部、ゴーストライターが書いたらしいが、それでも、喧嘩に関する大山の考え方は反映されており、非常に参考になるし、他にも、いわゆる喧嘩屋や、軍隊、特殊部隊、スパイが、喧嘩としての格闘技について語ったものは、固定観念を取り除くのに役に立つ。その意味で本物の知恵の書である。

中国の『荘子』は、まさに、固定観念の危険さ、愚かさを示し、それを脱することの重要性を説いたもので、私は昔から「よく読めば超能力者になれる本」と言っているが、あながち間違いではない。
だが、学者先生が『荘子』をガチガチの固定観念を持った頭で考えて解説している本が多い。
だから私は、『荘子』の本で「完全に解説」などと宣伝されているものは決して読まない。
解説は言葉に関してだけで、後は一切解説がなく、ただ丁寧に翻訳されたものが良い。

お姉さん
AIアート378
「お姉さん」
Kay


「頭を空っぽにすれば最も高い能力が発揮される」と言ったら、絶対納得出来ない人が多い。
能力とは、問題に対して自分の知識や経験を適合させることだと思っているからだ。
だが、その知識や経験というものは極めて卑小なものなのだ。
そして、人間は頭を空っぽにして無になれば、無限の知識や経験とでも言うべきものとつながる。
矢追純一さんが「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」というのは、最高に頭が良いやり方なのだ。
ただ、人間は痛い目に遭わないと頭を空っぽにする良さがなかなか分からないので、その意味では経験は良いものである。
しかし、言い換えれば経験とはその程度の価値しかない。

記憶を想起し、それについて考えるのは脳波がベータ波の時である。
脳波がアルファー波の中でもシータ波に近づくほど、思考活動は弱まっていく。
だから、アルファー波の状態で高い能力が発揮され、シータ波に近いスローアルファー波であれば、天才的能力を発揮することもある。
脳波をスローアルファー波にする簡単な方法が、いつもご紹介する志賀一雅博士の「よかった・ありがとう呼吸」である。
「よかった」と思いながら息を吸い、「ありがとう」と思いながら息を吐くだけである。
「神の圧力呼吸」は、脳波をほとんどシータ波にし、異常と思えるほどの能力を発揮させることがある。
引き寄せも、スローアルファー波の時に発揮されるのである。








  
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