インドの聖者ラマナ・マハルシは呼吸法を重視していなかった。訓練として一定の効果はあることは認めていたが、効果があるのは、呼吸がコントロールされている間だけであるとしていた。
そして、彼が言う「効果」とは、心が静かになることの一点だけであった。
彼は、心を永遠に静かにするには、「私は誰か?」と問い続けるしかないと述べた。

呼吸法に関する、別の否定的立場がある。
それは、「呼吸は自然であることが良く、心でコントロールしてはならない」というものだ。
これに関しては、昨日も少し紹介した、ドイツの哲学者・心理学者であるカールフリート・デュルクハイムが、日本で弓道、茶道、華道を学びながら悟ったことでもあったようだ。
同様のことを、仙道家の早島正雄氏が著書で述べていたのを見たことがある。
私が初めて腕振り運動(スワイソウ、甩手)を知ったのは早島正雄氏の著書であった。
早島氏は、呼吸は心でコントロールせず、ただ観察すべきと述べていたと思う。
また、近年ブームにもなったマインドフルネスを普及させた元グーグルの技術者であるチャディ・メン・タンも、マインドフルネスの呼吸では、早島氏のように、呼吸を心でコントロールせず、ただ観察するように教えていたと思う。

また、呼吸法を否定しないまでも、乱暴な呼吸法は避けた方が良いという意見は多く、それはそれで正しいと思われる。
乱暴な呼吸法とは、過度に多く、あるいは、強く呼吸する呼吸法である。
つまり、呼吸法が良いとしても、静かに行うことが必要で、呼吸の音が聞こえるようなやり方は良くないということだ。
ところが、合氣道家の藤平光一氏は、若い時、非常に病弱であったのが、ある修行で、「トホカミエミタメ」と唱えながら全力で息を吐き切る呼吸を、無茶と知りつつ続けたら、すっかり健康になったばかりか、超人化してしまったような雰囲気がある。
小学生でありながら、1分で1回の呼吸が出来るようになるまで腹式呼吸の訓練を行い、本当に超人化してしまった政木和三氏の例もある。

地球の花
AIアート350
「地球の花」
Kay


私の結論はこうである。
気持ち良ければ、その呼吸法をやれば良いが、何等かの利益(能力や引き寄せ)のために、気持ち良くもない呼吸法をやってはならないということだ。
ただ、上で述べた藤平光一氏のように、虚弱な身体をなんとかしたかったとか、政木和三氏のように吃音を治したかったといった、切実な目的がある場合は、直観に従い、多少無理な呼吸法でもやった方が良い場合がある。
そして、今の時代、誰にでも切実な理由がある。
つまり、気付いていない人が多いかもしれないが、現在の世界は実質戦争中であり(日本が例外でないばかりか、その真っただ中にいる)、まともなIQを持っているなら、この世界は既に、腐敗した地獄のような世界であることが理解出来る。
こんな世界で、これまでの世界で小市民としてそこそこ平安に生きられるだけの能力しかなければ悲惨なことになる。
そこで、どうしても力が必要で、それを得る唯一の方法が呼吸法である。
そんなわけで、出来るだけ優秀な呼吸法の説明をしているわけである。
ただ、やはり呼吸法は気持ち良いものであるべきだ。
そもそも、そうでなければ続かない。
だが、そんなことに構っていられない世界が迫っていることも確かである。








  
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