引き寄せに関し、わざと混乱が起こされ、誰も引き寄せが出来ないようにされている。
それは、主に、祈り言葉についてである。
たとえば、お金持ちになりたい場合、どう祈るだろうか?
こんな論をよく聞く。
「『お金持ちになりたい』と祈れば、お金持ちになりたいと思う状態だけが実現し、お金持ちになることは実現しない」
「『お金持ちになった』『私はお金持ちだ』と過去完了形や現在形で祈らないといけない」
「だが、『私はお金持ちだ』というのは嘘なので潜在意識が反発する。だから『私はお金持ちになりつつある』と祈らないといけない」
いや、そんな姑息な知識で願いが実現するはずがない(笑)。
所詮は、「お金持ちになりたい」という願いの強さの問題だ・・・という方が、まだ正しい。

それで、私は宇宙人に教えてもらったが、例によって、人間が猿に教えるごとく宇宙人から教わったので、かなりいい加減だ。
一応、一時的に、IQ300くらいにしてもらって教わったが、宇宙人にとっては、せいぜいが利口な猿といったところだ。
「お金持ちになる」という強い予感を持つ者がお金持ちになる。
ただし、その予感は、未来にお金持ちになることが確定している者が得る本物の予感だ。
つまり、お金持ちになる運命ならお金持ちになるというだけのことである。
ところが、やっぱりそれだけではない。
出来れば、このことだけは憶えていて欲しいのだが、
「純粋になりたいなあと思ったものにはなる」
「純粋に欲しいなあと思ったものは得る」
である。
これは、本来、旧約聖書の最も基本的なこととして書かれているが、とにかく、旧約聖書が書かれた昔のヘブライ語は難解な上、紛失・改ざんありありである。
旧約聖書最大のクライマックスである、神がモーセの前に現れて、神が自己紹介する場面がある。
一般的には、神は、「アイアム・ザット・アイアム(私は在りて在るものである)」と名乗ったことになっているが、多分嘘だ。
これはヘブライ語で「エヒエー・アシャル・エヒエー」で、「私はなるようになるだろう」という意味だが、これが「私は予感したものになるだろう」という意味であると同時に「私は純粋になりたいなあと思ったものになるだろう」という意味らしい。
だが、そこは神なのだから、「私はとこしえに創造する者である」という意味でもあるのだが、その創造の仕方は、純粋に願うことである。

花の命
AIアート300
「花の命」
Kay


つまり、ギラギラした欲望も、「絶対やってやる」という決意も、「どうしてもやらなくては」という焦りもなく、「マジカルミライ(初音ミクさんのコンサート)に行きたいなあ」とぼんやり思っていれば、そんな未来が形作られ、叶う予感がやって来て、その通りになるのである。








  
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