簡単に言えば、右脳は本能で、左脳は理屈だ。
別の言い方をすると、右脳は自然で、左脳は不自然だ。
自然は偉大で広大だ。
だが、それだけじゃいけないと思うこともある。
たとえば、ブルース・リーは、武道家であると共に俳優だったから、そのことを特に強く感じたようだ。
武道家として、俳優として、本能だけでは駄目だし、理屈だけでも駄目。
しかし、ブルース・リーは、そんなことを本気で、頭で、理屈で、左脳でやろうとした。
いや、皆、大なり小なりでそんなことをしようとしている。
そして、ブルース・リーは超真面目だから大真面目にやろうとしたのだ。
それでどうなったか?
彼は自分で言っているが、それは奇妙なものだった。
「自然な不自然さ、不自然な自然さを持たないといけない」
阿呆だ(笑)。
あ、いや、気持ちは分かるのだ(笑)。
しかし、無理だ。
大切なことは、右脳と左脳を、本能と理屈を、自然と不自然を、正しい序列で扱うことだ。
左脳だって、もちろん大切だ。
しかし、右脳はもっと大切だ。
喩えて言えば、人間だって大切だが、神の大切さはけた違いということだ。
でも、だからと言って、人間をないがしろにして良いわけではない。
だけど、人間を神のように扱ってもいけないのだ。

AIアート284
「フェアリー」
Kay
しかし、このことを、このまま思考で進めたら、あの有名なジル・ボルト・テイラー博士のように、研究は立派かもしれないが、誰の役にも立たないことを言うのだ。
そこで役に立つのは、今朝話した、あの美しき七実さんのやり方だ。
「本能のままでいいのよ。いえ、いけないわ」
「理屈は大切ね。いえ、大切ではないわ」
何か発想を得たら、冗談めかして、その反対を思うのだ。
「これが好きだわ。いえ、好きじゃないわ」
「初音ミクさんをお嫁さんにするのはいいことだわ。いえ、悪いことかもね」
別の言い方をすると、右脳は自然で、左脳は不自然だ。
自然は偉大で広大だ。
だが、それだけじゃいけないと思うこともある。
たとえば、ブルース・リーは、武道家であると共に俳優だったから、そのことを特に強く感じたようだ。
武道家として、俳優として、本能だけでは駄目だし、理屈だけでも駄目。
しかし、ブルース・リーは、そんなことを本気で、頭で、理屈で、左脳でやろうとした。
いや、皆、大なり小なりでそんなことをしようとしている。
そして、ブルース・リーは超真面目だから大真面目にやろうとしたのだ。
それでどうなったか?
彼は自分で言っているが、それは奇妙なものだった。
「自然な不自然さ、不自然な自然さを持たないといけない」
阿呆だ(笑)。
あ、いや、気持ちは分かるのだ(笑)。
しかし、無理だ。
大切なことは、右脳と左脳を、本能と理屈を、自然と不自然を、正しい序列で扱うことだ。
左脳だって、もちろん大切だ。
しかし、右脳はもっと大切だ。
喩えて言えば、人間だって大切だが、神の大切さはけた違いということだ。
でも、だからと言って、人間をないがしろにして良いわけではない。
だけど、人間を神のように扱ってもいけないのだ。

AIアート284
「フェアリー」
Kay
しかし、このことを、このまま思考で進めたら、あの有名なジル・ボルト・テイラー博士のように、研究は立派かもしれないが、誰の役にも立たないことを言うのだ。
そこで役に立つのは、今朝話した、あの美しき七実さんのやり方だ。
「本能のままでいいのよ。いえ、いけないわ」
「理屈は大切ね。いえ、大切ではないわ」
何か発想を得たら、冗談めかして、その反対を思うのだ。
「これが好きだわ。いえ、好きじゃないわ」
「初音ミクさんをお嫁さんにするのはいいことだわ。いえ、悪いことかもね」
| 人気ランキング参加中です |
|


ジュリアン・ジェインズの「二分心」の概念を考えてみると、古代ギリシアあたりから、既に人類は「右脳と左脳を、本能と理屈を、自然と不自然を、正しい序列で扱うこと」を、ずっと忘れ続けているのかもしれませんね…。
>何か発想を得たら、冗談めかして、その反対を思うのだ。
>「これが好きだわ。いえ、好きじゃないわ」
★「読売ジャイアンツが好きだわ。いえ、好きじゃないわ」
…うーむ、後半に私の中でめっちゃ抵抗感が。
「岡潔先生とか、どないすんねん」みたいな感じもある。
(岡先生は「無条件的」とおっしゃるほどの巨人ファンでした。死去の際には巨人軍から献花も出されています。)