願いが叶わないと思い知ったことがあるかもしれない。
例えば、
憧れのあの子を恋人に出来なかった。
プロ野球選手になれなかった。
科学者になれなかった。
大きな影響力を持つ人物になれなかった。
豪邸に住むお金持ちになれなかった。
などである。

まあ、それどころか、「大学生になれなかった」「普通のサラリーマンになれなかった」「結婚出来なかった」というレベルの人も少なくはない。
さらには、「まっとうな人間にもなれなかった」とか。

ところが、今は駄目でも、「いつかは」と希望を捨てていない人もいる。
どう見ても叶いそうになくても、「人がどう思おうと俺はやる」みたいな感じで夢に執着するが、やがて歳を取って死んでいく。
それまでに諦めれば良かったのかというと・・・諦めれば良かったのだ(笑)。

私が大好きな初音ミクさんを生み出した会社(クリプトン・フューチャー・メディア)を作った伊藤博之社長が、何かのインタビューに答えたものだったと思うが、「夢に人生を賭けるな」と言われていたのが印象深い。
あの人は、地元の北海道の若者がミュージシャンを目指して東京に行くも、30歳くらいで諦めて帰って来た・・・といった感じで、人生を棒に振るのを沢山見たのだったと思う。
ミュージシャンで成功するには、とんでもない才能と運の両方が必要だし、ビジュアルが成功を左右する場合も多い。
ミュージシャンに限らず、運を除き、自分に見込みがあるかどうかなんて分かりそうなものだが、なぜか自分は特別だと思って、見込みがあると勘違いするのが人間だ。

1970年代のアメリカのカンフーTVドラマ『燃えよ!カンフー』にこんな場面がある。
少林寺で修行をしている、ハーフの若い修行僧ケインが、尊敬する盲目の師ホーと話をしていた。
ホーが、自分にも願いがあると言う。
それは、ある寺の祭りに行くことだった。
ケインは、
「願いと言うには、あまりにささやかな」
と言うが、ホーは、
「これも欲望であることに違いはない」
と静かに言う。
その後、修行を終えたケインは少林寺を出、さらに時が流れる。
ケインは、ホーが言っていた寺の祭りに行ったのだが、なんと、ホーが来ていた。
心から再会を喜び合う2人だが事件が起こる。
皇帝の甥がホーを拳銃で射殺し、怒りに狂うケインは、その皇帝の甥を槍で殺す。
ホーは死に、ケインはお尋ね者になってしまった。
ホーの願いは叶わない方が良かった。

白い花の精霊
AIアート276
「白い花の精霊」
Kay


では、願いはいつ諦めれば良いのだろう?
ほとんどの場合、今すぐだ。
「ほとんどの場合」とはまた、曖昧な言い方だが、では、正確に言えば、「叶えたい」と本当に思っているなら、今すぐ諦めると良い。
「そんな馬鹿な!本当に叶えたいなら、叶えようと努力すべき」と思うかもしれないが、あなたが叶えたいかどうかはどうでも良いのだ。

とはいえ、諦めたことでがっかりしてはならない。
なぜなら、がっかりするのは、諦めていないからだ。

諦めてがっかりしなければ叶うと言うと、それで諦めなくなってしまって、やっぱり叶わない。
だから、せいぜい、「夢にあまり執着するな」と言うのであり、それが、上の伊藤社長の「夢に人生を賭けるな」ということにもなる(やや違う意味だが)。

いずれにしろ、余計なことを考えず、思考を消すことだ。
そのために、静かな呼吸をすべきである。
そうすれば全て思うがままである。








  
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