思考を消すことが悪いことだ、あるいは、恐ろしいことだという誤解があると思う。
そこで、思考が消えた状態に近いものを示そう。
それには、催眠術の話が参考になり、また面白いと思う。
私は中学1年生の時からの催眠術使いであるが、かなりの名人の催眠術もいろいろ見た。
私自身は、そんなに催眠術はうまくないが、私が催眠術にかけられることは全くない。
たとえば、催眠術でこんなことが出来る。
40代でも50代でも良いが、催眠術で年齢をどんどん退行させる。
「18歳になりました。13歳になりました。10歳になりました・・・」
催眠状態になれば、そんな暗示を容易く受け入れ、例えば、7歳にして自由にさせると、7歳の子供のように話し、7歳の子供のように振舞う。
本当に催眠術にかかっている場合は、芝居がかった様子がなく、自然なため、それほどの滑稽さは感じない場合が多かったと思う。
催眠術を解いた後、その7歳の子供になった人に聞くと、よほど深い催眠に入った場合でなければ、「自分は本当は大人だ」という自覚はあったと言う。
この、催眠術にかけられて7歳になった状態が、ある部分で、思考が消えた状態に似ている。
7歳の子供として思考してはいるのだが、その思考と一体化せず、自分は大人であるという意識がある。
言うなれば、7歳の子供としての思考は自動的に起こっているのであり、自分が起こしているのではないと分かっているのだ。
思考が消えた状態でも、「おはよう」と言われたら「おはよう」と返し、「今日はどこに行くのですか?」と聞かれたら、「今日は午後から買い物に行きます」と答えるが、その思考や反応は自動で起こっており、自分が思考者や行為者であるという自覚がない。
それはまるで、自分が劇を演じているのを見ているようだ。
『燃えよドラゴン』という映画で、少林寺拳法の達人リーは、
「良い戦いは、少人数で演じる劇に似ています。拳自ら打ち、私は打たない」
と言ったが、自分が戦っているという自覚があるうちは達人ではないということを、うまく表している。

AIアート224
「百合と少女のイラスト」
Kay
思考が消えてしまえば、人生は演劇で、自分は劇を演じる役者だ。
そして、その劇は、幼稚園のお遊戯程度のものだ。
上の『燃えよドラゴン』の武術の達人が勝つように、こういった状態では思うままである。
まあ、ご参考までに。
そこで、思考が消えた状態に近いものを示そう。
それには、催眠術の話が参考になり、また面白いと思う。
私は中学1年生の時からの催眠術使いであるが、かなりの名人の催眠術もいろいろ見た。
私自身は、そんなに催眠術はうまくないが、私が催眠術にかけられることは全くない。
たとえば、催眠術でこんなことが出来る。
40代でも50代でも良いが、催眠術で年齢をどんどん退行させる。
「18歳になりました。13歳になりました。10歳になりました・・・」
催眠状態になれば、そんな暗示を容易く受け入れ、例えば、7歳にして自由にさせると、7歳の子供のように話し、7歳の子供のように振舞う。
本当に催眠術にかかっている場合は、芝居がかった様子がなく、自然なため、それほどの滑稽さは感じない場合が多かったと思う。
催眠術を解いた後、その7歳の子供になった人に聞くと、よほど深い催眠に入った場合でなければ、「自分は本当は大人だ」という自覚はあったと言う。
この、催眠術にかけられて7歳になった状態が、ある部分で、思考が消えた状態に似ている。
7歳の子供として思考してはいるのだが、その思考と一体化せず、自分は大人であるという意識がある。
言うなれば、7歳の子供としての思考は自動的に起こっているのであり、自分が起こしているのではないと分かっているのだ。
思考が消えた状態でも、「おはよう」と言われたら「おはよう」と返し、「今日はどこに行くのですか?」と聞かれたら、「今日は午後から買い物に行きます」と答えるが、その思考や反応は自動で起こっており、自分が思考者や行為者であるという自覚がない。
それはまるで、自分が劇を演じているのを見ているようだ。
『燃えよドラゴン』という映画で、少林寺拳法の達人リーは、
「良い戦いは、少人数で演じる劇に似ています。拳自ら打ち、私は打たない」
と言ったが、自分が戦っているという自覚があるうちは達人ではないということを、うまく表している。

AIアート224
「百合と少女のイラスト」
Kay
思考が消えてしまえば、人生は演劇で、自分は劇を演じる役者だ。
そして、その劇は、幼稚園のお遊戯程度のものだ。
上の『燃えよドラゴン』の武術の達人が勝つように、こういった状態では思うままである。
まあ、ご参考までに。
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