いつも「思考を消せば全知全能である」としつこく言うが、この言い方では納得出来ない人が多く、「思考を消す」ではなく、「無になる」であれば納得というのではないが、反発されないことが多い。
だが、「無になれ」と言われて意味が分かる人はいない。
しかし、「無になる」とは「思考を消す」以外の何物でもない。
それなのに、ずっと「無になる」という言葉を有難がってきたのは、不可解と言うよりは滑稽である。
他にも、「とらわれから逃れる」みたいな言い方も好まれるが、これも全く「思考を消す」ということである。
荘子では、「とらわれ」を「是非の区別」「善悪の区別」のことと言っているが、「是非の区別」や「善悪の区別」が思考以外の何であろうか?

ブルース・リプトンという世界的な生物学者がいて、実質的には引き寄せ書とも言える素晴らしい本を書いており、翻訳もされている。
ところが、翻訳書の日本でのタイトルが『思考のすごい力』とか『思考のパワー』で、「この翻訳書、大丈夫かな?」と心配になるが、多くの場合、本のタイトルは翻訳者ではなく出版社が決めるので、そう心配はない。
この本の中で、1つの細胞の細胞膜がおそるべき知性を持っていることが書かれているが、細胞や細胞膜が思考しているはずがなく、やはり、思考していないことで(一般好みの言い方では「無である」ことで)神秘的な叡智を示し、引き寄せを行っているのである。

幽玄
AIアート221
「幽玄」
Kay


しかし、リプトン博士は、どうすれば宇宙的叡智を人間が持てるか(あるいは引き寄せが出来るか)という簡単なことが分からなった。
それで、本の中で怪しげな(?)メソッドをいくつか紹介しているが、かなり高額そうである。
だが、思考を消しさえすれば良いのであり、そのためには、ラマナ・マハルシが教えたように「私は誰か?」と問うか、思考の同胞である呼吸を殺してしまえば良い。呼吸を殺すとは、「息を殺す」が意味する微かな呼吸をすることである。
ただ、ラマナ・マハルシは、呼吸の制御は一時的な効果しかもたらさない・・・つまり、呼吸が制御されてる間しか効果がないと言うが、それならば、ずっと呼吸の制御をすれば良いのだし、呼吸の制御とは、単に微かな呼吸をすることである。
意識して微かな呼吸を長くすれば、意識しなくても呼吸は静かで回数も少なくなっていく。
呼吸が微かになればなるほど、IQが上がり、幸運に恵まれ、智慧が備わり、やがて、仙人に、そして、神のようなものになる。
荘子は「仙人はかかとで呼吸する」と述べているが、もちろん、本当にかかとで呼吸しているのではなく、まるでかかとででも呼吸しているかのごとく、鼻で呼吸をしていることが分からないほど呼吸が微かであるという意味である。
人間の仕事はただ、微かな呼吸をすることだけである。
そうすれば、日常のこと・・・例えば仕事などは子供の遊びになり、あまりに簡単なので自動的に進んでいく。
「魔法を使って治している」とまで言われた天才精神科医ミルトン・エリクソンは、まさに、仕事を前に無意識になると述べていたが、それはやはり、思考を消すことである。だから、彼はそれ(無意識になって)以降、何も憶えておらず、思考が戻った時には仕事は片付いているのである。
こういったことすら、皆、難しい言い方をするが、それは真理が分からないからで、それでいながら、自分を偉く見せたいからである。
簡単に言えば、このように本当に簡単なのである。








  
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