何か願いがあるとする。
発想貧困で申し訳ないが、その願いとは、ある男子がある可愛い女子を彼女にすることとする。
願いを叶えるために、その男子には、次のような道がある。

(1)現実的に行動する。たとえば、彼女に親切にし、プレゼントをあげ、頃合いを見計らって告白するなど。
(2)引き寄せを行う。アファーメーションやイメージングなど。
(3)神に願う。イエス様が言った通り、「既に叶った」と思う。
(4)(1)~(3)を適当に組み合わせる。
(5)一切をなりゆきにまかせる。あるいは、神にまかせる。
(6)諦める。
(7)無になる。

どの方法が一番叶い易いだろうか?
どれも同じだ。
その女子がその男子の彼女になるかどうかは既に決まっており、その運命に干渉することはどうやっても出来ない。
ある世界的に有名な成功プログラムでは、「叶うからその願望が起こるのである。叶わない願いは起こらない」と言っていた。
これは全くの嘘である。
この成功プログラムを製作・販売する者の目的は、人々を幸せにすることではなく、人々にこの成功プログラムを売ることだ。
では、運命は絶対に変わらないのかというと、仮に変わるとしても、個人の願望は全く関係ない。

夏への扉
AIアート219
「夏への扉」
Kay


だが、ニーチェがそうだったが、稀に、確実に叶えてしまう方法が分かる人がいる。
例えば、この男子が1月1日に、その女子を彼女にしたいと思う。
・1月20日
全くうまくいかない。男子は「予定通り」と言う。
・1月25日
その女子に彼氏が出来る。男子は「予定通り」と言う。
・3月10日
その女子、彼氏と結婚。男子は「僕が決めた通りになった」と言う。

つまり、何が起きても、それは自分の意志とするのである。
それは、自分が神になることである。
神であることに慣れると、ものごとは、異なる状態が同時に存在することが分かってくる。
上の例で言えば、その女子がその男子の彼女である状態と、そうではない状態だ。
どちらもあるのだ。
これは、科学の世界でも、量子力学の「重ね合わせの原理」として解明され、量子コンピューターで実用している。

思考があると、偏見によっていずれか一方しか見えない。
しかし、思考を消すと、両方あることが分かる。
よって、思考を消すのが一番である。
そのためには「私は誰か?」と自分に問うか、静かな呼吸をすることである。








  
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