中村天風という偉人がいたが、その弟子で有名な合氣道家だった藤平光一によれば、天風は亡くなる時、「俺の教えは全て忘れろ」と言ったらしい。
つまり、天風は自分の教えは全部間違いだったと認めたということらしい。
そうではない。
中村天風の間違いは、沢山の本を書き、沢山の講演を行って余計なことを教えたことだ。
彼の教えはただ1つと私は思っている。
それは「肛門を引き締めよ」だ。
それだけで良かった。
なぜなら、人間は肛門を引き締めながら思考することは出来ないからだ。
つまり、本当に大切なことは、思考を消すということだけだ。
それさえ分かれば、中村天風は間違ってはおらず、1つの正しい道を示した。
ただし、あくまで1つの道だ。
それで言えば、私はよく知らないが、藤平光一は、難しいことは言ったが、何か残しただろうか?
私には、藤平光一の話は、面白くはあるが、何も分からない。

中村天風よりも分かり易く教えたのは、むしろ、明治・大正の偉人で、岡田式静座法で知られた岡田虎二郎だった。
岡田式静座法とは、早い話が、腹に力を込めることだった。
正座そのものはしなくて良いと私は思う。
実際、岡田は「常に腹に力を込めよ」と言い、「生活しながら静座するのではなく、静座しながら生活せよ」と言ったように、起きている限りは静座・・・その実は腹に力を込めることをやれと言ったのである。
岡田の場合は、中村天風と違い、その理由も述べている。
「人間が下らないことを考えるのは、腹から力が抜けているからだ」
だが、岡田も分かっていなかったのは(言わなかっただけかもしれないが)、人間の考えは全部下らないということだ。
腹に力を込めれば、その下らないものである思考の一切を消すことが出来るのである。

現代の座敷童
AIアート169
「現代の座敷童」
Kay


中村天風の「肛門を引き締める」も、岡田虎二郎の「腹に力を込める」も、目的は同じで「思考を消す」ことだけだ。
どっちのやり方でも等しく効果があり、好きな方でやれば良い。
ちなみに、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、常に下腹に力を込めよと教え、岡田虎二郎に近い。
中村天風のように、ヨガをやった者は、肛門を締める教えを受けているので、そっちを勧めるのだと思われる。

だが、思考を消すもっと優れた方法は、ラマナ・マハルシが教えた「私は誰か?」と自分に問うことである。
マハルシも「私は誰か?」以外の想念を起こしてはならないと教えた・・・つまり、常に「私は誰か?」と問えということだ。
もちろん、実際は、出来るだけ多くとしか言いようがないが、「私は誰か?」は、直接思考を消してしまう点、腹や肛門に力を込めることより優れているし、やり易いと思う。
とはいえ、好きな場合は、肛門を引き締めたり、腹に力を込める方法も導入しても良いが、彼らも認めたように、彼らのその他の教えは不要である。
岡田虎二郎も、死の直前、自分が書いたものは全部燃やしたのである。
こういったことはなかなか出来ず、中村天風も岡田虎二郎も、そういった点、最も偉大なことをしたのであり、やはり偉い人達であったと思う。








  
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